2019年4月20日土曜日

カズオ・イシグロ著「忘れられた巨人」を読んで

一昨年度ノーベル文学賞受賞作家の最近作です。『日の名残り』『わたしを離さない
で』と、彼の名作を読んで来て、ノーベル賞受賞を喜ぶと共に、最近作も是非読み
たくなりました。遅ればせながら、やっと手に取った次第です。

描く対象によって自在に作品のジャンルを変えるイシグロですが、本書は中世のイギ
リスを舞台にした歴史ファンタジーです。

しかしファンタジーとは言っても、彼にかかると単なるおとぎ話には終わりません。
寓意、隠喩が散りばめられて、普遍的な人間のさがを問う、重厚な長編小説となって
います。

勿論、読み物としても良く出来ていて、冒険に富む老夫婦の道行きが、長い道のり
読者を飽きさせませんが、前述したようにメタファーに満ちた小説なので、この作品に
描かれていることの意味は何かと考える時、色々な解釈が可能であるように思われ
ます。

私なりの理解で読み進めて行くと、まず、この小説における龍や鬼や妖精は何を表す
のかという問題に行き当たります。

この作品の世界の中で、人間はこれら異形の生き物たちを恐れながらも共存してい
ます。私はこれらのものは、中世の人間がその存在を固く信じていた、因習や迷信、
人智を超える力によって与えられる災いなどであると推察します。

このように考えると、この物語の影の主役とも言える、人々にブリトン人とサクソン人
の争いを忘却させる存在である雌龍は、アーサー王が暴力で築いた秩序を長い間
人々に盲信させる、魔法の装置ということになります。

しかしこれが荒唐無稽でないのは、私たち現代人でさえ近年までアーサー王を英雄
と信じ込んで来た事実が示すように、都合の悪い歴史は権力者などによって常に
葬り去られる危機にあることを、暗示しているのかも知れません。

他方、雌龍がもたらした、この物語にとってのもう一つの重要な忘却の作用である、
主人公の老夫婦アクセルとベアトリスの過去のわだかまりの記憶は、龍の死によって
その記憶が蘇った時に老妻の死という悲しい別離をもたらしますが、二人はその結末
をあらかじめ予期しながら、お互いの愛を確認するために、記憶の復活を強く望んで
いた節があります。

この忘却によってではなく、明確な記憶の上に和解を生み出し、愛を貫こうとする
主人公夫婦の姿に、イシグロは人類の未来への希望を託している、と私には感じ
られました。

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