2024年3月27日水曜日

吉見義明著「草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験」を読んで

先の大戦終結から80年近い歳月が過ぎました。身近からその体験者がどんどん少なくなっています。例えば 実際に従軍した父、兄を戦争で失った母は、もうこの世に居ません。それに伴いあの大戦の影は、次第に 薄くなっていくように感じられます。翻ってロシアのウクライナ侵略、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ 侵攻と、世の空気は、またきな臭くなって来ています。 本書は、第二次世界大戦開戦直前から、敗戦直後に至るまで、日本の名も無き庶民の日記から民衆の生の声 を集め、時々の人々の直接の想い、ものの考えかを、丹念に拾い集めた書です。 私の読後の感慨をまず記しますと、私の成長過程で、両親の言葉の隅々や、過去への向き合い方から感じた もの、またまだ社会全体がまとっていた、戦争の影響を否応なく感じさせられて来たものが蘇って来るよう で、苦々しさを伴いながらも過去を思い返すような一種の懐かしさを抱き、他方公教育で反戦平和思想を 根幹として教えられた、民衆は一方的な犠牲者であるような反軍国主義の公式見解とは違う、庶民の実情を 赤裸々に提示されるようで、改めて歴史の真実を知るような生々しさを感じました。 その中でも印象深かったところを拾ってみると、本書が書き出されている満州事変前後には、天皇制の前提 の下ではありながら、民衆の間に民主的なものの考え方があり、事変開始直後の一時的な熱狂はあっても、 戦闘の早期終結を望む声は大きかったと言います。しかし世界恐慌や異常気象による庶民の生活の困窮が、 次第に対外進出による生活の向上に、世論を傾けて行きます。 このような考え方の前提には、欧米人へのコンプレックスと周辺アジア住民への優越意識があり、それが 八紘一宇という美名の元に、日本の対外進出を正当化し、民衆の支持を広く集めることになります。 また実際の大戦が始まると、十分な兵站準備を整えない日本軍の場当たり的な戦術によって、現地住民から の略奪暴行、殺戮が繰り返され、その環境に投げ込まれた日本軍兵士は、次第に理性を失って行きます。 そして敗戦後も、非戦の想いは民衆の中にいち早く浸透して行きますが、戦中の蛮行の自己正当化の意識は、 なかなか消えません。庶民の側からあの大戦の実情を見ることによって、戦争というものの悲惨な本質を あぶり出す、労作でした。

2024年3月16日土曜日

島崎今日子著「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」を読んで

沢田研二(ジュリー)は、地元京都出身ということもあり、私にとって身近に感じられるスターでした。 もっとも、コンサートに行くほどのファンではなく、実際に会ったことはないけれど、少し年長の知り 合いからは、彼のデビュー前の噂も聞き、テレビで映し出される彼の妖艶な歌唱の姿を見ても、遙か 遠くの存在とは思われないところがありました。 また、彼の主演したドラマ「悪魔のようなあいつ」では、彼の演じた三億円事件の犯人に、破滅型の ヒーローとして、シンパシーを感じていたものでした。しかしいつか、彼がテレビから遠ざかり、同時 に私も年を重ねて、私の中のジュリーが次第に遠景に退いて行った時に、目にしたのが本書でした。 従って私自身、自分の若かりし日をなぞる思いで、この本を読みました。 実際に読み進めてみると、常に時代の表街道を歩いているように思われた全盛期の彼が、様々な曲折に 直面し、試行錯誤を重ねながら、トップスターの座を維持していたことが分かります。ザ・タイガース の一員として、ファンから熱狂的な支持を得た時代、本人たちの音楽指向とは違うアイドル路線を求め られ、次第にメンバー間に齟齬が生まれてグループ解散に至る様子。 またグループサウンズ退潮の中で、所属プロダクションが起死回生を目指して結成を働きかけた、タイ ガースのメインボーカル沢田研二と、ザ・テンプターズのメインボーカル萩原健一(ショーケン)を ダブルボーカルに据えたPYGが、ジュリーはソロ歌手として、シューケンは俳優として、それぞれの道を 歩み出したために消滅する経緯には、各自が自分の生き方を求めて、懸命に模索する様子が見えます。 しかしその中でも、自らの歌う曲をヒットさせることを最上の価値とする、沢田の信念はぶれることな く、彼はスターの座に居続けるために、新しい音楽の傾向を積極的に取り入れ、ビジュアルや演出に工夫 を重ねて、常に新しいジュリーであり続けたのです。容姿や歌唱力に恵まれながらも、彼がそれにも増し て努力に人であることを、改めて気づかされました。 本書は、そのような彼の音楽活動の軌跡を追うことによって、図らずも現代歌謡曲史にもなっていると 感じられました。またこの本を読むことによって、このジュリーが如何にこれから彼の老後に向かい合う かということにも、興味を持ちました。そこを描く続編にも、期待したいと思います。

2024年3月8日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2928を読んで

2023年12月3日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2928では 小林秀雄との対談『人間の建設』から、数学者・岡潔の次の言葉が取り上げられています。    内容のある抽象的な観念は、抽象的と感    じない。 つまり、ー人間の思考は、内容のない観念だけを相手にしているといずれ破産する。世界は「分かり きったことほどわからない」し、人も「大きな心配ほど心配しない」ものだが、その限界を越えたけ れば、逆に手許にある個人の問題を離れてはいけない。ーということだそうです。 うーん、難しい。私のような凡人には、簡単に理解出来ることではないけれど、でも例えば、私が 「人間の生きる目的は何か?」と考えた場合、抽象的に観念をもてあそんでいたら、袋小路に陥る。 だけど具体的に、どうしたい、ああしたいと目標を並べれば、以外と真理に近づく、ということで しょうか? そんな単純なことではないと一喝されそうですが、凡人に対する教訓としては、我々は、常に物事を 自分に引きつけて考えるべきだ、ということのように思われます。皆さんは、どう思われますか?