2019年5月31日金曜日

京都国立近代美術館「藤田嗣治展」を観て

藤田の没後50年を記念する大規模な回顧展です。

過去にも彼の回顧展を観たことがありますが、今展はより各年代を網羅して作品が
集められているように感じます。もともと藤田の絵画が好きで、評伝を読み、伝記映画
を観たことのある私には、彼の画業を通して生涯を跡付ける想いで、この展覧会を
観ることが出来ました。

まず興味深かったのは「Ⅱ はじまりのパリー第一次世界大戦をはさんで」のパートで、
大志を抱きパリに到着した藤田が当時の流行を模倣し、仲間の影響を受けながら、
悪戦苦闘する様子が示されます。

これは同じく西洋絵画の先進地パリを訪れた日本人画家たちが辿る道ですが、藤田が
彼らと違ったのは、西洋から絵画を学ぶだけではなく、日本人として本場で通用する
絵画を生み出そうとしたところにあると、このパートの作品を観て感じます。

その中でも特に目を惹いたのは、彼の出世作と銘打たれた《私の部屋、目覚まし時計
のある静物》で、当時藤田の代名詞であった「乳白色の下地」が当初裸婦によって
注目されたのではなく、このような慎ましやかな主題によってであったことに、彼の涙
ぐましい試行錯誤が見て取れる気がします。

「Ⅳ 乳白色の裸婦の時代」の裸婦の羅列は正に圧巻!「乳白色の下地」を用い、墨
の線で繊細に縁取られた裸婦は日本的かつ魅惑的ですが、決して見逃してはならない
のは、裸婦の体のボリュームはきわめて肉感的で、ムンムンとした色気を放っている
ことです。背景に多用される花柄の装飾模様や純白の布も西洋人趣味で、裸婦たちを
怪しく引き立てます。

つまり藤田の裸婦の画は、東洋的なものと西洋的なものの融合によって生み出された
作品であり、当時新しいもの好きのパリっ子を熱狂させた様子が、目に浮かびます。

《アッツ島玉砕》などの「作戦記録画」については、前にも触れたのでここでは省きます
が、それにしても前半のパリ滞在作に対して晩年のフランスでの宗教画は、藤田らしく
洗練された絵画もあるにはありますが、いかにも寂しく、悲しく感じられます。

戦争協力の罪を問われて祖国を追われ、第二の故郷フランスに永住の地を見出し
ながら、どこか根無し草の寄る辺なさから、キリスト教に救いを求めた姿が透けて
見える気がします。

近代を代表する日本人洋画家藤田嗣治が、その溢れる天分と才気故に、洋の東西に
自身を引き裂かれる運命にあったと感じるのは、私だけでしょうか?

2019年5月29日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1469を読んで

2019年5月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1469では
映像作家・片山龍峰による聞き書き『クマにあったらどうするか』から、「アイヌ民族
最後の狩人」姉崎等の次のことばが取り上げられています。

  人間て強いと思っているうちはすごく強いん
  ですけれど、弱いと思ったらこんなに弱いも
  のはないんですね。

この狩人が夕闇迫る中でクマを仕留め、とどめを刺そうと近づいた時に、最早辺りは
とっぷりと暮れて、突如相手は暗闇でもこちらが見えるが、自分は全然見えないこと
に気づいて恐怖に襲われ、後退しようにも足がもつれてどうしようもなくなった体験を
元に、語ったことばだそうです。

私はこんな究極の恐怖体験をしたことはありませんが、でも自分の矜持や頼りに
するものが突然に失われた時、人は情けないほど狼狽することがあるということは、
理解出来る気がします。

例えば子供の頃に、お金を持っているつもりで市バスに乗り、乗り込んでから全く
持っていないことに気づいた時の、全身から汗が噴き出すような体験、あるいは、
スピーチの準備原稿が本番の舞台上で見当たらなくなってしまった時の、しどろ
もどろになった体験など・・・。

後から考えると些細な失敗談ですが、その瞬間の当人にとっては文字通り青ざめる
体験です。

そのような経験をして、私たちは細心の注意や周到な準備の必要性を学ぶので
しょうが、更には、本来人間は一人では何も出来ない弱い存在であることを知り、
周囲の助けがあって初めて日々を無事過ごしていけるという謙虚さを身に付ける
ための、原体験ともなるのかも知れません。

2019年5月27日月曜日

京都高島屋グランドホール「第48回日本伝統工芸近畿展」を観て

恒例の「日本伝統工芸近畿展」を観て来ました。

今回は、パンフレットの表紙やチケットにも使用されている、日本伝統工芸近畿賞
受賞の人形作品、桐塑布和紙貼「雲の上」にまず惹きつけられました。

今までの人形作品のイメージに比べて洗練されていて、手足の表情、仕草に
リズム感を伴った軽やかさ、動きがあり、あたかも雲の上を歩むような詩情溢れる
佇まいを呈しています。現代という時代の気分をまといながら、それでいて少し突き
抜けた気品を示している清新な作品だと感じました。

いつも重点的に観る染織系の作品では、染色作品で白地を多用した着物が目立ち、
表現として垢抜けした雰囲気を醸し出してはいますが、実際に着用する着物として
は耐久性の面で問題があるのではないかと、気がかりに思いました。

同じく染織系で、刺繍作品の出展数が増えていて、刺繍の多様な表現や表情を
味わうことが出来て、好ましく感じました。

織物の作品では、お馴染みの幾何学的な表現にも増して、織物という制約の中で
動きや造形的な面白さを現出した作品に、工夫の跡が感じられて、興味を持ちました。

会場脇に、出品陶芸家の盃で試飲したり、その盃の販売、更には盃を入れる織物、
あるいは刺繍を施した仕覆の販売コーナーを設けるといった、一般の人に比較的
価格が手ごろな工芸品の愛用を促す試みも定着して来て、一定の賑わいを見せて
いました。

既成の工業製品に比べて高価ではあっても、温もりや味わいのある工芸品を愛用
する楽しさを実際に体験してもらうことは、将来の伝統工芸の存続のためにも、少な
からず意味のあることだと、感じます。


2019年5月25日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1467を読んで

2019年5月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1467では
ファッションデザイナー森英恵の回想録『ファッション』から、次のことばが取り上げ
られています。

  「壊れるかもしれない」、「壊れそうだ」という
  のを、壊さないように大事に存在させたい。

この著名なファッションデザイナーはガラス細工が好きで、「壊れてしまえばおしまい」
という儚さに惹かれるといいます。そして服飾のデザインも、「今の瞬間をとらえ、それ
を切り取って形に表す」という意味で、儚さを愛おしむ仕事であると。

洋装と和装の違いはあれど、またファッション業界が流行の先端を追う仕事であると
しても、私は着物という伝統的な衣装の文化にも、風俗は常に移ろいゆくものという
意味において、儚さという要素があると感じます。

実際に私たちを取り巻く環境においては、儀式で和服を着用するという文化は一部を
除いて危機的な状態に陥っていますし、伝統的な習い事をする若い人もかなり減って
来ているので、そのような場での着物の着用の機会もどんどん減少しています。

先日東京の百貨店の呉服の催事に参加をして、こちらではまだ個人的な楽しみで
着物を着る人も多く存在することを目の当たりにして、随分励まされる思いがしました
が、同時にそのような和装の楽しみ方を、もっと広く世間に伝えることが出来ないか、
とも感じました。

このまま放置すればもはや途絶えてしまうかもしれない和装という文化を、何とか
守って行きたいという想いが、今回の「折々のことば」と呼応しました。

2019年5月23日木曜日

取材考記「芸術も風俗も社会も 平成=「フラット化」この先」を読んで

2019年5月13日付け朝日新聞夕刊「取材考記」では、編集委員・大西若人が上記の
題名で、1990年代以降の日本の芸術、風俗、社会の「スーパーフラット化」について
記しています。

この論によると、「スーパーフラット」は、平成前半に唱えられた現代美術家・村上隆
の造語で、古美術から現代美術までを視野に入れ、日本文化に通底する奥行きに
欠ける平面性に注目した考え、ということです。

筆者の大西は、「平成」=「フラットになる」と読み替えられるように、芸術のみならず、
風俗も社会も価値観も、みんなフラット、超平面化したのではないかと問いかけて
います。

この論を読んで私は、私たちが常日頃現代社会に生きる上で感じて来た、何とはなし
の味気無さの正体の読み解き方を、教わったような気がしました。

確かに今の社会は、情報技術や交通手段の発達によって驚くほど便利になり、我々
の知識の範囲や移動可能距離は飛躍的に広がりました。でもだからといって必ずしも、
この個人にとっての拡大した世界が、生身の感触を伴った立体的なものであると、
決して実感出来ないということも、私たちは同時に感じているのではないでしょうか?

つまり世界が拡大するほどに、その手触りはバーチャルで希薄なものと、なって来て
いるのではないか?例えば、品物を購入するという行為も、個性的な個人商店では
なく、スーパーや大型ショッピングモールで購入する場合は、同じような条件で同様の
品質の商品を購入することになりますし、更には、ネットショップで購入するとなると、
全国同一のものを実際に手に取って確かめることもなしに、購入することになります。

買い物の楽しみ方が、随分手軽で便利ではあっても、平板で味気無くなっているよう
に感じます。このような社会のフラット化に対しては、確実にその反動としての実体験
や、手触りの感触を重視する動きも一部には出て来ているように感じます。私は可能
ならば、その動きの本格的な復権を心から願うものです。

2019年5月20日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1460を読んで

2019年5月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1460では
《芸人人語》第2回「罪」から、人気お笑いコンビ爆笑問題・太田光の次のことばが
取り上げられています。

  芸能に近づかなければ怪我もしないかもしれ
  ない。しかしそれがなければ、人間は生きて
  いけない。

本来芸能とは、そのようなものなのでしょう。人間は常日頃は周りと折り合いをつけ、
社会的規範の中に生きていますが、そのような生活は、知らず知らずのうちに人の
本能や感情を抑圧することになっているのでしょう。

だから生きて行く中のどこかで羽目を外したり、感情のガス抜きをすることが必要に
なるのかもしれません。

日本の神話に出て来る「天岩戸」の物語にしても、洞窟の中に隠れた天照大御神の
心を慰めて、再び顔を出してもらうために、岩戸の前で芸能が演じられます。遠い
昔から人は、そのような気晴らしを必要として来たのは、間違いありません。

でも、私たちが生きる現代社会では、このような芸能に対する世間の受け止め方も、
随分変わって来ているようにも感じます。

つまり、漫才に代表されるような芸能に、感情を解き放つ笑いを求めながら、それを
演じる当の芸人にも、社会的規範に則った生活を求め、それを逸脱すると激しく糾弾
する、そのような事例は枚挙にいとまがなく、その上この糾弾は、近頃ますます厳格
になって来ているように感じられます。

勿論現代社会では、そこに暮らす一人一人の人間が公共のマナーを守り、道徳的な
生活を送ることを求められる度合いは、以前より増しているでしょう。しかしこと芸能に
関しては、その本来の性格上、芸人に厳密な社会的規範の順守を求め過ぎていては、
その芸の内包する力を失わせることにならないか ?

最近の芸能ゴシップを見ていて、そのように感じることがあります。

2019年5月17日金曜日

KYOTOGRAPHIE 2019 金氏徹平|S.F.(Splash Factory)他を観て

KYOTOGRAPHIE 2019も会期末が迫り、今回はまず、京都新聞ビル印刷工場跡
(B1F)で、金氏徹平の大規模展示を観ました。

前回も訪れた印刷工場跡は、抜け殻という雰囲気とまだ息吹が保たれていると
いう感じが残っている独特の空間、そのスペースで展開される、新聞というメディア
をインクなどの液体と紙という物質として捉え表現した、写真、映像、オブジェ、音
などを組み合わせた展観は、まるでテーマパークのようなコミカルさと謎めいた気分
に、訪れる者を誘います。徹底的に物質として表象された新聞メディアの姿は、その
流動感、刹那性が、あたかも報道という活動に宿る命を、表現しているかのよう
です。

同じ京都新聞ビルのエントランスからエスカレーターを上がった2階ホールで展示
されている、これは京都新聞社の企画と思われますが、京都西陣で高齢者の介護
を担った早川一光医師の人生を、写真と節目節目の時期の新聞紙面で追った展示
も、大変に見ごたえがありました。

地域医療に情熱を捧げたこの医師の人生が、正に戦後日本の政治情勢、経済活動、
福祉政策の移り行きとシンクロし、最後には当の本人が介護を必要とする高齢者と
なって、それでもなお、自らの立場から介護行政の改善への提言を発しようとした
生きざまに、感動せざるを得ませんでした。生きることへの重い問いかけとなる展観
でした。

次に室町二条下がるのギャラリー素形で、オサム・ジェームス・中川|Eclipse:蝕/
廻:Kaiを観ました。

この写真展は、ニューヨーク生まれで日本で育ち、現在両国のアイデンティティーを
踏まえながらアメリカで活動する日系作家が、前回の大統領選挙の「アメリカン・
ファースト」という選挙キャンペーンで、深刻な価値観の分断が生まれたアメリカの
現状に触発されて、主に過去作の再構成によって分断の「間」を視覚化した、(Ecli
pse:蝕)と、作家自身の家族の間の個と個のつながりを視覚化した(廻:Kai)から
なる展覧会です。

(Eclipse:蝕)では、アメリカン・ドリームの夢の跡を思わせる、廃墟化した野外のドライ
ビングシアターを捉えた写真が印象的で、生粋のアメリカ人とは一味違うシニカルな
視線が感じられますし、しかし同時にアメリカという国に対する理性的な愛も読み
取れると、私は感じました。

他方(廻:Kai)では、家族に対する日本人的な細やかで、情緒的な愛情がこちらにも
伝わって来て、親近感を覚えます。そのコントラストが織りなす重層的な印象が、この
写真家の他にはない魅力であると感じました。

2019年5月15日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1449を読んで

2019年5月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1449では
農業史家・藤原辰史との対談「言葉がほどけるとき」から、長くホスピスケアに取り
組む医師・徳永進の次のことばが取り上げられています。

  正解のなさというのが好きなんです。

このことばは、この医師が患者さんに対応する時に、感じたことを語った言葉です。
確かに医療や介護の現場ででは、相手が生身の人間であるだけに、こちらの働き
かけへの反応は千差万別、それがまた、うまくいった時の喜びや満足を生み出す
のでしょう。

このような場合に限らず、私も相対的に正解のないものが好きです。勿論計算問題
やクイズなどで、きっちりと答えが出た時には、胸がすっとしますが、全般に世の中
のことは正解のないものがほとんどです。

正解がないゆえに、我々は少しでもいい結果を求めて、あるいは場面に応じた対処
方法を求めて、日々工夫をするのではないでしょうか?そういう取り組み方も、人生
に充実感をもたらすのだと思います。

あるいは、永遠の謎であるような問題、それを探求し続けるような研究者の姿勢に
も、その視線が遥か彼方を向いているという意味でロマンを感じたり、憧れを覚え
たりします。

結局、目先で正解を得られる問題は、ほとんど人間の深いところにつながる問題
ではなく、表面をなぞるようなものなのではないか?これは極論としても、現在の
社会は、拙速な答えを求め過ぎている社会であるようには、感じます。

2019年5月13日月曜日

梯久美子著「原民喜 死と愛と孤独の肖像」を読んで

原民喜の作品は今まで読んだことがありませんが、「夏の花」は優れた原爆文学
としてかねてより耳にしてきました。本書の著者梯久美子には、先日名作「死の棘」
の作者島尾敏雄の妻ミホを主人公とする「狂うひと」を読んで感銘を受けていた
ので、いやがうえにも期待が高まりました。

この本は冒頭、原のショッキングな鉄道自殺から始まります。しかしその自死には
沈痛なものは当然あっても、何かなすべきことをなしたようなさばさばした印象が
あります。それは彼がすでに以前より死を意識して友人、知人に周到な遺書、遺品
を準備し、事件後それを受け取った友人たちも、皆その死を悼みながら、あらかじめ
覚悟していた節があるように感じられるからと推察されます。

更にはこの作家の文学の性質が、彼のそのような死を運命づけていたとも想像され
ます。これらの事柄は、原民喜の人生と文学を語る上で大変に重要です。従って、
本書の導入部分は秀逸であると感じられました。

彼の人生のキーワードとして、作家自身もエッセイの中で語っているように、死と愛と
孤独が挙げられます。この本もその三つの言葉に従って進められて行きますが、
その大きな流れは、広島の裕福な家庭に育った繊細で鋭敏な心を持つ少年が、良き
理解者である父と次姉を相次いで早くに失って、死を身近に感じるようになり、
成人後最愛の妻を得るも結核で亡くし、失意の疎開後被爆、以降戦後の混乱期に
原爆と妻の回想を題材として文学を発表して、短い生涯を閉じた、というものです。

このように原の人生を辿ると、彼の文学は過酷な人生に寄り添うものであったことが
分かります。彼は不器用で世知に乏しく、決して社交的な人間ではなかったといい
ます。しかし多くの文学仲間に愛されたという事実は、彼に捨て置けない人間的魅力
があったということでしょう。

また彼の妻や、孤独の晩年の一瞬彼の心に光を与えた女性への彼の接し方を見る
と、原が愛情に溢れた誠実な人間であったことが理解出来ます。死者や社会的弱者
に寄り添いながら、自身はじっと孤独に耐え、愛情を内に秘めて紡ぎ出された文学。
本書を読んで、原の作品のそんな文学像が浮かびます。代表作「夏の花」が是非
読みたくなりました。

2019年5月11日土曜日

KYOTO GRAPHIE 2019 アルバート・ワトソン「Wild」他を観て

「KYOTO GRAPHIE 2019」、今回は2会場を訪れました。

まず、嶋臺ギャラリーで開催されているヴェロニカ・ゲンシツカの「What a Wonderful
World」に行きました。

この写真展は、気鋭のポーランド人女性作家が、50~60年代アメリカのストックフォト
を再構成して、その写真に秘められた欲望や葛藤を浮かび上がらせようという刺激的
な試みで、展覧会の題名にもなっているルイ・アームストロングの名曲が暗示するよう
に、一見幸福そうな人物写真の裏の人間の暗部を、垣間見せてくれるということです。

さて実際に観てみると、楽しそうに語り合う男女の女性の顔部分に、若く愛くるしい女性
のマスクを被せた作品は、男性の若い女性への潜在的な欲望を現わしているということ
ですが、逆に私はその写真が醸し出すコミカルさを楽しく感じました。

同様に他の作品でも、一昔前のカメラに慣れない人が写した写真に見られるような、
ピンボケ、二重露光、被写体がフレーム枠からずれているような写真が思い起こされ
て、思わずニヤッとさせられました。私が受け取った感じは、作者の意図とは違うかも
知れませんが、とにかく楽しむことが出来ました。

次に京都文化博物館別館で開催されているアルバート・ワトソンの「Wild」に向かい
ました。

この展覧会は、「ポートレートの巨匠」といわれる有名写真家の日本初の回顧展で、
未発表作も含むということですが、著名な人物を被写体にした、私も今まで目にして
きた、その人物のイメージを文字通り体現するような写真作品も、多く見られました。

それらの写真は、一部の隙もなく作り込まれていて、スタイリッシュで、完璧の一瞬が
写し取られている、というように感じました。でも余りにも隙がなさ過ぎて、私には少し
堅苦しく感じられました。その中で、マイク・タイソンの首の太さを強調した後ろ姿の
ポートレートが、彼の全てを雄弁に物語っているようで、印象に残りました。

2019年5月9日木曜日

龍池町つくり委員会 61

5月7日に、第80回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず中谷委員長より、龍池自治連合会総会に向けての、平成30年度の「町つくり
委員会報告資料」の説明があり、それに関連して、学区内の町内の中には、世帯数
の把握が十分でないところがある、その理由は、町費を納めている世帯だけの数を
カウントしていて、納入していないマンションなどを除外しているからで、災害などへの
対処を考える時、町費納入の有無に関わらず、総数を知っておくことが必要ではない
か、という問いかけがありました。

この問題は、我々が目指す地域の活性化のための根本的な命題で、地域内のマン
ションと言っても賃貸、分譲の別など、居住者、所有者の地区の自治会に対する考え
方も千差万別で、容易に解決する問題ではありませんが、可能な限りの全数の掌握と、
その中から少しでも、地域活動に参加する住民を増やしていくことを目標とするしか
ないという、全委員の認識が確認されるにとどまりました。

次に新年度の行事として、恒例となりつつある「龍池ゆかた祭り」をどのように取り
扱うかという話し合いに移り、今年も前年同様「鷹山」の祇園囃子を聴くことを中心
として、7月15日18:30~20:30のスケジュールで、マンガミュージアム・グラウンドで
開催することに決定しました。

この度、マンガミュージアムに入る飲食業者が前田コーヒーに代わることもあり、これ
までよりも「ゆかた祭り」の来場者に対して、きめ細かいサービスが可能になるという
ことなので、その旨の打ち合わせをすること、また好評の「篠笛」の社中に今年も参加
を依頼すること、少しでも来場者を増やすために、例年協力いただく京都外大の学生
さんたちに、観客を呼び込むために提灯を掲げての出迎えをしてもらうこと、などの
段取りが決まりました。

2019年5月6日月曜日

「平成テレビ史 「個の時代」とマツコ」を読んで

2019年4月27日付け朝日新聞朝刊テレビ欄の「平成テレビ史」では、
社会学者・太田省一が「「個の時代」とマツコ」と題して、最近の10年間、マツコ・
デラックスがテレビの第一線で活躍し続ける社会的背景について、「個の時代」と
いうキーワードから語っています。

このコラムで指摘されているように、確かにテレビのメディアとしての性格上、私の
知る限り、興味本位という意味で、かつても性的マイノリティのタレントが画面を
にぎわわせたことはありましたが、マツコのように、文字通りゴールデンタイムの
番組の顔として、この種のタレントが起用されたことはなかった、と記憶します。

マツコのたぐいまれなタレントとしての能力、また日本でも少なくとも公には、性的
マイノリティが認知されつつあることが背景としてあるのでしょうが、現実にテレビ
番組の看板タレントとして起用されるということは、視聴率を稼げる、好感度が高い
とか、時代の気分を反映しているなど、積極的に起用される理由があるに違い
ありません。

その理由を太田は、マツコが個としての人生の幸福を求める時代の、一般の人々
の代弁者の役割を担っていることと結論付けていますが、確かにそういう側面は
あると感じます。

でも私は、マツコが性的マイノリティということも実はあまり意識されていないのでは
ないか、とも感じています。つまり、他のお笑い系の人気タレントと同様に、着眼点が
面白かったり、ユーモアで視聴者を楽しませてくれたり、そういうところにテレビを
観る者は、最も惹きつけられるのではないでしょうか?

そしてもしそうであるとしたら、一般人の意識は、マツコの人気の背景を性的マイノリ
ティに求める議論よりも、ずっと進んでいるのかも知れません。

2019年5月3日金曜日

4月25日付け「天声人語」を読んで

2019年4月25日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、間もなく迫る平成天皇譲位、
令和への改元に因み、作家坂口安吾が「続堕落論」で、終戦の年の夏の国民の
意識が本音は戦争終結に安堵しながら、建前上は天皇の命でいやいや止めた
という体裁を取って敗戦を受け入れたことを、「歴史的大欺瞞」と揶揄した記述から
語り起こし、今回の譲位に当たっても、平和憲法を体現する道として「象徴としての
務め」を担った平成天皇に、国民が無自覚に依存しているのではないかと、疑問を
投げかけています。

敗戦の時には私はまだ生を受けておらず、戦前、戦中に我が国の国民がいかなる
多大な犠牲を払い、またどのような思いで敗戦を受け入れたのかは、知るところ
ではありません。ただ私が青年期を迎えるころまでは、先の戦争を巡る天皇の役割
について、複雑な思いを持つ人も多く存在したと記憶します。また戦後も、長らく
天皇の「象徴」という位置付けが曖昧で、それを巡る国民の評価も分かれていたと
感じます。

そういう意味でも平成天皇は、皇后共々に先の大戦の戦地への、真摯な慰霊の
意志を示す度々の訪問や、平成時代に度重なった大災害の被災地での、被災者
への親身な慰問に、「象徴としてのあるべき姿」を体現されたように感じました。
その姿勢が今回の譲位についても、多くの国民が好意的に受け止める雰囲気を
生み出しているのでしょう。

しかし他方、天皇制という我が国固有の制度は、このコラムでも指摘されるように、
国民意識の統合に寄与する反面、政治という観点からは、民主主義の主権者と
しての国民の責任の所在を曖昧にする懸念を含む、とも感じられます。我が国が
経済成長後の国家としての成熟を求められる今日、国民と民主主義のあり方に
ついても、各個人が主体的に思考を深めることが求められていると感じます。

2019年5月1日水曜日

染、清流館「蝋絵染・松本健宏展」を観て

京都精華大学出身の染色作家松本健宏さんとは、お若い時からしばしば当店に
ご来店いただいて交流もあり、またその誠実な人柄と染色に取り組まれる真摯な
姿に好感を持って来たこともあって、今回の個展の案内をいただいた時には、久し
ぶりに作品を見せていただくことにを、嬉しく思いました。

染、清流館の会場を入ると、まず今展のメインの大作「ヒビノクラシ」に引き込まれ
ます。この作品は、16面横幅14.7メートルの壮大なろうけつ染めの作品で、京都
綾部の限界集落にアトリエを構え、最初パネル2面での発表から、10年の歳月を
掛けて完成されたものです。

松本さんによると、その集落の豊かな自然の中に佇む情趣ある姿に魅せられながら、
同時に最初に感じた寂しさや生活の厳しさが、現地に通いつめ、村の人々と交流を
重ねるほどに、現代の都市生活では味わうことの出来ない、安らぎや心清められる
心地を抱かせる大切な場所に、変わって行ったそうです。

そしてこの大作は、彼のその想いを集大成した作品で、生地の地色に黒一色という
シンプルな色使いでありながら、その醸し出す色感の多様さに驚かされます。白地
に黒というと、私たちはすぐに水墨画を思い浮かべますが、この作品はろうけつ技法
を用いているということで、まず蝋で伏せ、その周囲を墨で埋めるという工程で制作
され、その結果生地に筆で直接に描くのとは違う、確かな実在感と重層性、流動感
が生み出されている、と感じました。

またその画面全体の主調音を構成するのは、山から流れ出て集落に至る、鮮明な
漆黒で表現された水の流れでありながら、画面のところどころには、茅葺の家の中
の人々の慎ましやかな生活や、里に下りて来る愛くるしい動物たちが、詩情溢れる
姿で表現されています。

他の作品の緑豊かな自然、伊根の家屋の風雪に耐える力強さ、あるい花火の一瞬
の華やぎやはかなさなど、作品は作家の人となりを現わすという言葉が実感出来る、
忘れられない展示会となりました。