2019年5月15日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1449を読んで

2019年5月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1449では
農業史家・藤原辰史との対談「言葉がほどけるとき」から、長くホスピスケアに取り
組む医師・徳永進の次のことばが取り上げられています。

  正解のなさというのが好きなんです。

このことばは、この医師が患者さんに対応する時に、感じたことを語った言葉です。
確かに医療や介護の現場ででは、相手が生身の人間であるだけに、こちらの働き
かけへの反応は千差万別、それがまた、うまくいった時の喜びや満足を生み出す
のでしょう。

このような場合に限らず、私も相対的に正解のないものが好きです。勿論計算問題
やクイズなどで、きっちりと答えが出た時には、胸がすっとしますが、全般に世の中
のことは正解のないものがほとんどです。

正解がないゆえに、我々は少しでもいい結果を求めて、あるいは場面に応じた対処
方法を求めて、日々工夫をするのではないでしょうか?そういう取り組み方も、人生
に充実感をもたらすのだと思います。

あるいは、永遠の謎であるような問題、それを探求し続けるような研究者の姿勢に
も、その視線が遥か彼方を向いているという意味でロマンを感じたり、憧れを覚え
たりします。

結局、目先で正解を得られる問題は、ほとんど人間の深いところにつながる問題
ではなく、表面をなぞるようなものなのではないか?これは極論としても、現在の
社会は、拙速な答えを求め過ぎている社会であるようには、感じます。

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