2019年5月3日金曜日

4月25日付け「天声人語」を読んで

2019年4月25日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、間もなく迫る平成天皇譲位、
令和への改元に因み、作家坂口安吾が「続堕落論」で、終戦の年の夏の国民の
意識が本音は戦争終結に安堵しながら、建前上は天皇の命でいやいや止めた
という体裁を取って敗戦を受け入れたことを、「歴史的大欺瞞」と揶揄した記述から
語り起こし、今回の譲位に当たっても、平和憲法を体現する道として「象徴としての
務め」を担った平成天皇に、国民が無自覚に依存しているのではないかと、疑問を
投げかけています。

敗戦の時には私はまだ生を受けておらず、戦前、戦中に我が国の国民がいかなる
多大な犠牲を払い、またどのような思いで敗戦を受け入れたのかは、知るところ
ではありません。ただ私が青年期を迎えるころまでは、先の戦争を巡る天皇の役割
について、複雑な思いを持つ人も多く存在したと記憶します。また戦後も、長らく
天皇の「象徴」という位置付けが曖昧で、それを巡る国民の評価も分かれていたと
感じます。

そういう意味でも平成天皇は、皇后共々に先の大戦の戦地への、真摯な慰霊の
意志を示す度々の訪問や、平成時代に度重なった大災害の被災地での、被災者
への親身な慰問に、「象徴としてのあるべき姿」を体現されたように感じました。
その姿勢が今回の譲位についても、多くの国民が好意的に受け止める雰囲気を
生み出しているのでしょう。

しかし他方、天皇制という我が国固有の制度は、このコラムでも指摘されるように、
国民意識の統合に寄与する反面、政治という観点からは、民主主義の主権者と
しての国民の責任の所在を曖昧にする懸念を含む、とも感じられます。我が国が
経済成長後の国家としての成熟を求められる今日、国民と民主主義のあり方に
ついても、各個人が主体的に思考を深めることが求められていると感じます。

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