2019年5月6日月曜日

「平成テレビ史 「個の時代」とマツコ」を読んで

2019年4月27日付け朝日新聞朝刊テレビ欄の「平成テレビ史」では、
社会学者・太田省一が「「個の時代」とマツコ」と題して、最近の10年間、マツコ・
デラックスがテレビの第一線で活躍し続ける社会的背景について、「個の時代」と
いうキーワードから語っています。

このコラムで指摘されているように、確かにテレビのメディアとしての性格上、私の
知る限り、興味本位という意味で、かつても性的マイノリティのタレントが画面を
にぎわわせたことはありましたが、マツコのように、文字通りゴールデンタイムの
番組の顔として、この種のタレントが起用されたことはなかった、と記憶します。

マツコのたぐいまれなタレントとしての能力、また日本でも少なくとも公には、性的
マイノリティが認知されつつあることが背景としてあるのでしょうが、現実にテレビ
番組の看板タレントとして起用されるということは、視聴率を稼げる、好感度が高い
とか、時代の気分を反映しているなど、積極的に起用される理由があるに違い
ありません。

その理由を太田は、マツコが個としての人生の幸福を求める時代の、一般の人々
の代弁者の役割を担っていることと結論付けていますが、確かにそういう側面は
あると感じます。

でも私は、マツコが性的マイノリティということも実はあまり意識されていないのでは
ないか、とも感じています。つまり、他のお笑い系の人気タレントと同様に、着眼点が
面白かったり、ユーモアで視聴者を楽しませてくれたり、そういうところにテレビを
観る者は、最も惹きつけられるのではないでしょうか?

そしてもしそうであるとしたら、一般人の意識は、マツコの人気の背景を性的マイノリ
ティに求める議論よりも、ずっと進んでいるのかも知れません。

0 件のコメント:

コメントを投稿