2019年5月20日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1460を読んで

2019年5月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1460では
《芸人人語》第2回「罪」から、人気お笑いコンビ爆笑問題・太田光の次のことばが
取り上げられています。

  芸能に近づかなければ怪我もしないかもしれ
  ない。しかしそれがなければ、人間は生きて
  いけない。

本来芸能とは、そのようなものなのでしょう。人間は常日頃は周りと折り合いをつけ、
社会的規範の中に生きていますが、そのような生活は、知らず知らずのうちに人の
本能や感情を抑圧することになっているのでしょう。

だから生きて行く中のどこかで羽目を外したり、感情のガス抜きをすることが必要に
なるのかもしれません。

日本の神話に出て来る「天岩戸」の物語にしても、洞窟の中に隠れた天照大御神の
心を慰めて、再び顔を出してもらうために、岩戸の前で芸能が演じられます。遠い
昔から人は、そのような気晴らしを必要として来たのは、間違いありません。

でも、私たちが生きる現代社会では、このような芸能に対する世間の受け止め方も、
随分変わって来ているようにも感じます。

つまり、漫才に代表されるような芸能に、感情を解き放つ笑いを求めながら、それを
演じる当の芸人にも、社会的規範に則った生活を求め、それを逸脱すると激しく糾弾
する、そのような事例は枚挙にいとまがなく、その上この糾弾は、近頃ますます厳格
になって来ているように感じられます。

勿論現代社会では、そこに暮らす一人一人の人間が公共のマナーを守り、道徳的な
生活を送ることを求められる度合いは、以前より増しているでしょう。しかしこと芸能に
関しては、その本来の性格上、芸人に厳密な社会的規範の順守を求め過ぎていては、
その芸の内包する力を失わせることにならないか ?

最近の芸能ゴシップを見ていて、そのように感じることがあります。

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