2019年5月25日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1467を読んで

2019年5月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1467では
ファッションデザイナー森英恵の回想録『ファッション』から、次のことばが取り上げ
られています。

  「壊れるかもしれない」、「壊れそうだ」という
  のを、壊さないように大事に存在させたい。

この著名なファッションデザイナーはガラス細工が好きで、「壊れてしまえばおしまい」
という儚さに惹かれるといいます。そして服飾のデザインも、「今の瞬間をとらえ、それ
を切り取って形に表す」という意味で、儚さを愛おしむ仕事であると。

洋装と和装の違いはあれど、またファッション業界が流行の先端を追う仕事であると
しても、私は着物という伝統的な衣装の文化にも、風俗は常に移ろいゆくものという
意味において、儚さという要素があると感じます。

実際に私たちを取り巻く環境においては、儀式で和服を着用するという文化は一部を
除いて危機的な状態に陥っていますし、伝統的な習い事をする若い人もかなり減って
来ているので、そのような場での着物の着用の機会もどんどん減少しています。

先日東京の百貨店の呉服の催事に参加をして、こちらではまだ個人的な楽しみで
着物を着る人も多く存在することを目の当たりにして、随分励まされる思いがしました
が、同時にそのような和装の楽しみ方を、もっと広く世間に伝えることが出来ないか、
とも感じました。

このまま放置すればもはや途絶えてしまうかもしれない和装という文化を、何とか
守って行きたいという想いが、今回の「折々のことば」と呼応しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿