2017年1月30日月曜日

鷲田清一「折々のことば」649を読んで

2017年1月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」649には
作家吉本ばななの「小説トリッパー」昨年冬号の随筆から、次のことばが取り上げ
られています。

 全部を満たす訳じゃないけれど、この部分だけはこの人が確実に満たしてくれる
 という人が無数にいてこその人生です。

私にとってこのことばを考える上で、分かりやすい例を挙げるとなると、仕事上の
ことですが、白生地を着物に染め上げる工程が思い浮かびます。

例えば、一つ紋の色無地の着物ですと、反物の白生地に紋の位置を決める墨打ち
をして、紋糊を置き、色を染めて、湯のしをしてから紋糊を落とし、白く抜けた紋の
部分に墨で紋上絵を描いて、出来上がりです。

それぞれの工程に専門の職人がいて、順番に回して行くのですが、預かった反物を
順次職人に受け渡しすることを専門の仕事とする、悉皆屋という職業も、業界には
存在します。

私たちが実際に白生地の染を承ると、まずその依頼に相応しい工程を思い描き、
どのような順序で、どの職人さんに任せるのかを決めて行きます。その際似通った
仕事でも、今回の場合はこの職人さんに、違うケースではあの職人さんにと、お客
さまの要望に答えるためには、微妙なさじ加減が大切になることがあります。

このように着物が染め上がるためには、様々な職人の存在が不可欠ですが、上記の
ことばに照らして考えると、私たちは多くの職人さんに支えられて初めて、満足のいく
仕事を成し遂げることが出来るということになります。

そんなことに思い至って、上述のことばに頷かされました。

2017年1月27日金曜日

京都文化博物館「ダリ版画展」を観て

先般、京都市美術館で開催されているダリの大規模な回顧展を観て、彼の魅力に
新たに気付かされた私は、その姉妹展ともいえる本展にも、必然的に足を運び
ました。

版画展ということで、京都市美術館の展観よりもこじんまりとしていますが、内容は
密度が濃く、豊穣で、彼が版画の創作者としても、超一流の存在であったことが
見て取れます。

まず、ダンテの「神曲」の挿絵として企図された、水彩画から制作された木口木版の
シリーズ100点が冒頭に並べられていますが、ダリ特有のシュールレアリスティック
なお馴染みの造形表現を用いながら、そこから漂い出て来るイメージや詩情は実に
豊富で、あるいは写実的な挿絵よりも、その哲学的で深遠な「神曲」の世界観を
うまく表現し得ているのではないかと、感じられました。

このような作品を観ていると、彼独特の奇抜なイマジネーションが生み出す絵画の
基底には、伝統への憧憬があることが見て取れます。その他にも彼の版画作品
には、文学から題材を得たものが多く見受けられ、彼がしばしば用いる造形記号
(柔らかい時計、縄跳びする少女、など)も、その影響の下に生み出されたのでは
ないかと、感じさせます。

さらに「日本民話」のシリーズは、私たち日本人が観ると大変ユニークで、物語の
本来の雰囲気とは遠くかけ離れていながら、彼の描き出す世界の囚われのなさが、
清々しささえ感じさせました。コラージュ的な表現を試した実験的な作品など、様々な
版画技法を駆使して留めなく溢れ出るイメージを、画面に定着させようとした様子が
見て取れました。

それゆえ会場全体には、遊び心と多様なイメージが軽やかに戯れるような、和やかな
空気が流れているように、感じられました。
                              (2016年7月24日記)

2017年1月25日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、突然訪ねて来た書生の佇まい

2017年1月24日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載184には
苦沙弥先生宅を何の前触れもなく、突然一人で訪れた教え子の中学二年生の
様子を記する、次の記述があります。

「着物は通例の書生の如く、薩摩絣か、久留米がすりかまた伊予絣か分らないが、
ともかくも絣と名づけられたる袷を袖短かに着こなして、下には襯衣も襦袢もない
ようだ。素袷や素足は意気なものだそうだが、この男のは甚だむさ苦しい感じを
与える。ことに畳の上に泥棒のような親指を歴然と三つまで印しているのは全く
素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちゃんと坐って、さも窮屈そう
に畏まっている。」

極めて軽妙洒脱な描写です。場面がありありと目に浮かび、思わずクスッと笑って
しまいました。

まず、着衣の描写が秀逸です。当時のいかにも書生、学生という風体の絣の着物。
恐らく擦り切れて、つんつるてんではなかったでしょうか。その着物から腕や足を
にゅっと突き出している。おまけに下にはシャツも襦袢も着ていなくて、そのうえ
足袋も穿かずに素足と来ています。彼ら特有の着衣の中でも、最も身なりを構わず、
ぞんざいで、申し訳程度に着ている感じがよく出ています。この表現を読んでいて、
私は現代の若者の洋装とは違い、和装には微妙な相違による独特のニュアンスが
あったのだと、感じ入りました。

さらに、その素足の汚れた親指が畳に足跡を付けている描写。それが三つまで
印されていて、四つ目の上に座っているという表現は、いたずら坊主が先生の家の
座敷に通されて、そっと中に入り、隅の方で縮こまって、ぎこちなく座っている様子が、
にくいほどうまく描き出されています。

何とも楽しい、情景描写でした。

2017年1月23日月曜日

川崎長太郎著「泡 裸木」講談社文芸文庫を読んで

実家の物置小屋に暮らし、赤貧のうちに生涯、花街を舞台にした私小説を書き続けた
作家の、一人の芸者を巡る、作家自身と著名な映画監督小津安二郎の恋情の絡み
を描く、いわゆる小津ものを集めた短編集です。

私が本書を手に取ったのは、近頃私小説という定義が随分曖昧になって来ていると
感じる中で、第二回芥川賞の候補となり、私小説の極北とも言われた川崎の作品を
読むことによって、本来の意味の私小説とはいかなるものであるかを知りたいと思った
からで、本書を読んで漠然とではありますが、その目的を果たすことが出来たと、感じ
ました。

まず本書収録の短編の特色は、著者の人生におけるある一つの経験を時間軸を変え
ながら、あるいは視点を違えて、繰り返し描いていることです。そしてそれぞれの作品
にはそれぞれの趣きがあり、さらには全体を一つの括りの作品と見た時には、ある時代
の情趣といったものが確かに立ち上って来ます。

このような効果が生み出される本書における前提条件は、第二次大戦、戦前、戦中の
花街が舞台であることであり、この当時にはまだ、花街文化とでも呼びうるものが存在
していたことです。

現代の京都に生きる私にとっても、祇園、先斗町といった花街や、舞妓、芸妓といった
その担い手は、すぐ近くに存在するものですが、私を含めた大多数の住民にとって、
彼女らは最早親密に関わる対象ではありません。しかし川崎長太郎が生きた時代には、
貧しい三文文士でさえ足を向ける場所であり、客と芸者の交情は、一つの庶民的な
男女の交わりの文化を形作っていたのです。

待合という密室の中での、金で買われる女と客の男の関係。しかしそれは単なる売買春
と限定されるものではなく、踊り、三味線などを伴う文化としての酒席のもてなしや、金
だけでは買うことの出来ない心の遣り取りというような、濃密な関係性が醸成されていた
のです。

本書ではそのような条件の下での、魅力的な一人の芸者に対する、時代の寵児小津と
売れない作家川崎の、長太郎の独り相撲と言っていいような恋の鞘当てが、繰り返し、
繊細に語られます。その結果、閉ざされた空間の中での個人的な男女の心の機微が、
時代の空気を刻印された普遍的な男と女の間の情感の描出へと、昇華されるのです。

また本書での恋敵川崎の目を通した、小津のプライベートな部分の赤裸々な描写は、
彼の芸術的に完成された映画からは想像出来ない、知られざる一面を垣間見せて
くれて貴重です。

川崎にとって私小説とは、生き方のその時々の細部を、克明に文章に残すことであった
のでしょう。

2017年1月20日金曜日

森見登美彦著「夜行」を読んで

地元京都と縁の深い人気作家、森見登美彦の小説を初めて読みました。

「夜行」という連作版画を媒介として、小説の中の過去と現在、平行して存在する
ネガとポジの世界の行き交う、夢ともうつつとも判然としない、全編不穏な空気が
流れているような小説です。

数日のこの小説の読書期間中、私自身悪夢を見るのではないかという予感に、
しばし寝つきが悪い夜もありました。読書でそんな感覚に陥るのは久しぶりです。

この連作版画には、それぞれ地名を冠する題名が付いていて、英会話スクールの
かつての受講生仲間のアイドル的存在の女性、長谷川さんの突然の失踪
十年後に、他のメンバーが集まるところから小説は始まりますが、メンバーの一人
一人が、この版画の題名にちなむ土地を訪れて体験した異様な物語を語る形で、
物語は進んで行きます。

この体験談がおぞましくはありますが、土地の雰囲気を活かした設定も、
登場人物のキャラクターも随分魅力的で、私は特に第一話「尾道」の坂の上の
屋根に穴の開いた廃屋とホテルマンの男、第三話「津軽」の炎を上げ燃える
三角屋根の家と記憶の中の少女、が強く印象に残っています。

物語の中のネガとポジのそれぞれの世界は、長谷川さんが存在するかしないかで
色分けされますが、ポジの世界が穏やかで健全な世界であるにも関わらず、
物語としてはネガの世界が断然魅力的です。人は物語のストーリーには、充た
された平穏なものよりも、喪失や悲しみの感情を引き起こすものを、求め勝ちなの
かもしれません。

そうすることが、どこまで意味があるかは分かりませんが、私なりにこの小説を読み
解いてみると、人間の記憶にまつわる感情にはネガとポジがあり、私たちはその
せめぎ合いの中でバランスを取って生きている。それがネガの方に傾くと、不安や
憂うつさや寂しさなどの負の感情に、支配されてしまうことになるのではないか?
とはいえポジに強く針が振れることも、人生を単調で味気ないものにするように、
思われる・・・。

一方この小説には、著者の体験に基づく京都市街や近郊の描写が登場し、地元に
暮らす私としては、物語の中の世界がより実感のあるものとして感じられました。
このようなところは、地元出身の作家の小説を読む醍醐味の一つかもしれません。

またこの小説を読んでいる時、折しも京都が珍しくまとまった積雪に見舞われました。
まるで「津軽」の雪景色の描写の幻想味を直接肌で感じるように、否が応でも読書
気分が盛り上がりました。これも読書の楽しみの一つではないでしょうか。

2017年1月18日水曜日

鷲田清一「折々のことば」638を読んで

2017年1月16日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」638では
筋ジストロフィーを患う岩崎航さんの「点滴ポール 生き抜くという旗印」から、
次のことばが取り上げられています。

 みんなを照らす太陽も/たまには休んで/月にもなりたいと/思う時もあるはずだと/
 分かる人で ありたい

重い症状を身に抱えながら懸命に生きる人の、やさしさを巡る考察とは、とても
比較出来るものではないけれど、私は前回のブログに綴った怒りの感情に対する
気持ちの裏返しとして、他者に対するやさしさということを、大切にして来ました。

自分に係わりがある周囲の人々に、出来るだけやさしく接したい。それがその場を
心地よくすることであり、ひいては私自身も心安らぐ方法であると、考えて来たの
です。

でも、そのような人への接し方に対して、私の心の中ではいくつかの疑念も生まれ
ました。つまり、一体他者へのやさしさとはどういうことか?やさしさを示したいと
考える人物の単なる偽善や自己満足ではないのか?あるいは押し付けや要らぬ
おせっかいではないのか?・・・などです。

しかし相手にやさしく接してもらうことは、私にとっても実際嬉しいことですし、
最近はこのように考えるようになりました。

つまり、やさしさとは相手に寄り添うことであり、そのためにはその人の語る事を
良く聞き、その人の立場に立って考え、行為することである。それは必ずしも相手に
気に入られるような言葉を掛けたり、おもねるような行動を取ることではない。

上記のことばを読んで、その想いを強くしました。

2017年1月16日月曜日

鷲田清一「折々のことば」637を読んで

2017年1月15日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」637では
児童文学者清水真砂子の「大人になるっておもしろい?」から、次のことばが
取り上げられています。

 では、怒らずにどうしていたか。むかついていました。

私も若い頃、怒りという感情が苦手でした。それは私の少年期に父に叱られる時、
父が決まって、有無を言わせぬほどに高圧的であったことが、影響しているの
だろうと思います。

それゆえ私は、対人関係で相手に出来るだけ不快な思いをさせない、怒らせない
ということを最優先にして、家族や周囲の人々に接していた時期が長かったと、
振り返ってみて今は感じます。

でもそれでは、自分の気持ちを押さえつけることになり、また言いたいことを十分に
主張出来ないことにもなり、鬱屈を覚えたり、ストレスを感じることも、多々あり
ました。

しかし社会との関わり方や、家族関係の変遷を経て、近年では、人と人との交わり
において、時として怒りという感情を意思表示し合うことも必要なのではないかと、
思うようになって来ました。

それぞれが抱く怒りを伝え合うことによって、互いの気持ちが通じ合い、問題意識を
共有することが出来る場合もあるでしょう。怒りの表明によって、かえって絆が深まる
こともあるはずです。

要は一方的に相手に怒りをぶつけるのではなく、憤っている理由が相手に伝わる、
あるいは共感出来るような、冷静さを失わない方法で怒りを表出できたら、それは
ずっと健康的な怒り方になるのではないか?

実際にはかなり難しいけれど、上記のことばに触発されて考えました。

2017年1月13日金曜日

改組新第3回「日展」を観て

今年も恒例の日展を観て来ました。何時ものように、特に私が興味を持つ、
工芸美術の中の染色、日本画を中心に観て回りました。

染色では、馴染の作家の作品に多くお目にかかりましたが、それらの出展作も随分と
数が絞られて来て、激選されているという印象を受けました。その分馴染の作家の
作品も、例年の技法及び表現方法に新たな発想や苦心の跡が認められる作品が多く
存在し、見ごたえのある展観と感じました。

反面、新しく選ばれて展示された新進の作家の作品は少なく、世間一般に言われ、
また私たちも感じているように、染色美術の退潮ということを実感させられました。

昨年三浦景生回顧展を観て、染色美術の素晴らしさを再認識した私としては、この
美術分野を取り巻く環境の厳しさは、その周辺で仕事をさせて頂いている者として
ひしひしと感じながら、この部門をけん引するスター性を有する作家の出現と、次代を
担う新たな才能の誕生を切に願う思いを、改めて強くしました。

日本画については単に私の好みというだけで、気楽な気分で鑑賞することが出来るの
ですが、やはり従来重鎮と言われた高名な画家の多くが物故されて、会場を巡っても
少し物足りなさを感じました。その中で、中路融人「淡紅垂咲く石庭」はひときわ光彩を
放つさすがの作品で、見ごたえがありました。

日本画部門は相対的に幻想的な作品が多く見受けられ、現代的で洗練された佇まい
が目立ちますが、反面、線の厳しさや優美さを前提とする格調高い日本画らしい作品が
少なく、敢えて日本画として表現する意味を感じさせない作品も見られました。私は
もっと日本画然とした優れた画を、多く観たいと思いました。

他方少数ではあっても、新しい日本画を生み出そうと志す実験的な作品もあって、
伊東正次「野仏図」、岩田壮平「ばんえい」に、私はそんな気概を嗅ぎ取り、好ましく思い
ました。

2017年1月11日水曜日

龍池町つくり委員会 36

平成29年1月10日に、第54回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回の委員会では、1月29日(日)に迫った「新春きものde茶話会」の詳細の説明が、
担当の張田委員よりありました。

実施内容は、前回の委員会で発表されたものとほとんど変わりませんが、その内
「京のお正月談義」のコーナーでは、外国人の参加者も多かった前年の、説明が
理解しづらかったという意見に対する反省も踏まえ、当日配布する資料を作り、
その資料を見てもらいながら説明を加えることによって、参加者の理解を助けると
共に、その資料を行く行くは龍池学区で配布する冊子につなげたいという提案が、
このコーナーの担当の中谷委員長からありました。

なお「お正月談義」の内容は、正月の伝統的な行事のルーツやいわれ、またそれに
まつわる先人の知恵やしきたりを、次代に伝えることを目的に、「かたち」からこの
地域の「こころ」を継承しようとするものに、なるそうです。

杉林さんも久々に参加して下さって、前回のように「たついけカルタ」を実施したい
という提案もあり、「お雑煮の振舞」を行う自治連合会会議室でのカルタに因んだ
パネル展示、茶室での「お茶のお手前」の後のカルタ遊びも、併せて執り行うことに
なりました。

前回着物をレンタルする参加者の着付けに手間取り、開始時間が遅れたことの
改善点として、会場で着付けを希望する方は午前九時半に集合していただき、また
スタッフ、関係者も九時半までに会場に集まることも、確認されました。

後は当日の盛況と、町つくりの上での良い化学反応が生まれることを、期待する
ところです。

2017年1月9日月曜日

鷲田清一「折々のことば」627を読んで

2017年1月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」627では
作家城山三郎の「人生余熱あり」から、次のことばが取り上げられています。

 人生は挑まなければ、応えてくれない。うつろに叩けば、うつろにしか応えない。

このことばは、決して人生の行く末を左右するような大きな岐路にだけ、当てはまる
ものではないでしょう。日々の積み重ねの些細な局面でも、この前向きな気持ちは
持ち続けなければならないと、私は感じます。

でもそれは、とても難しい。何故なら日々選択を迫られる局面には、色々な
シチュエーションが有り、例えば過去からの慣性、社会的状況、人間関係、あるいは
自分自身の問題、例えば健康状態、精神的な弱さ、甘えの心などが、積極的な
心の持ちようを阻み、妥協を強いるからです。

しかしまた、人生の選択においては、後先を考えず、無分別に突き進むことも、
慎まなければならない。それは私自身の幾度かの失敗が、教えてくれたことでも
あります。

ではどうすればいいのか?心は冷静に思慮深く保ちながら、常に前向きに人生に
チャレンジする。言うは易く行うは難し、の典型です。

だから現実には思うように行かず、挫折、疑心暗鬼、自己嫌悪の連続です。でも
少なくとも常に、前向きな気持ちは持ち続けたい。自分が自信を失い絶望している
時や、焦燥感に囚われている時には、たとえかすかな希望しかなくても夢を描いて、
最初の一歩を歩み出そうとしてみたい。そんな心の在り方をいつも目指したいと、
思い描いています。

2017年1月7日土曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の公権力批判

2017年1月5日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載172には
吾輩が主人苦沙弥先生の挙動を眺めながら、当時の我が国の公権力批判を
弁じる、次の記述があります。

「聞くところによると彼らは羅織虚構を以て良民を罪に陥れる事さえあるそうだ。
良民が金を出して雇って置く者が、雇主を罪にするなどときてはこれまた立派な
気狂である。」

「ところが委任された権力を笠に着て毎日事務を処理していると、これは自分が
所有している権力で、人民などはこれについて何らの喙を容るる理由がない
ものだなどと狂ってくる。」

現代に生きる私たちの目から見ると、随分リベラルで先見性のある物言いだと
感じます。明治時代にもこんなに言論の自由があったのですね。私は浅学に
して知りませんでしたが、そういえば治安維持法や特高警察の締め付けは、
もう少し後のことなのでしょう。

でもいずれにしても、大日本帝国憲法の時代に、新聞など公の場でこのような
意見を開陳することは、腹の座った硬骨漢でなければ出来ないことだと、私は
推察します。漱石の面目躍如たるところではないでしょうか?

しかしこれらの論説を現代の社会情況に照らし合わせてみると、民主主義
社会と言われるようになっても、私たち人間のやることはあまりかわり映え
しないんだと、感じさせられます。なぜなら、同様のことがしばしば報道で取り
上げられ、批判されているのですから。

そのような意味でも、「吾輩は猫である」は普遍的な小説かもしれません。

2017年1月5日木曜日

鷲田清一「折々のことば」623を読んで

2016年12月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」623では
美術家藤浩志の共著「地域を変えるソフトパワー」から、次のことばが取り上げ
られています。

 「悩む存在」が生まれることを回避するのではなくて、それをつくり出すのを
 得意とするのが、アーティスト・・・・・なんじゃないか。

微力ながら「町つくり委員会」に籍を置き、これに係わる者として、少なからず
示唆に富むことばです。

地域の置かれた現実、地域ごとの問題点は千差万別であり、行政からの一律の
解決策や、専門家による上からの問題提起では、その地域における最善の
解決方は導き出されないでしょう。

しかし実際には地域の人間が知恵を絞り合っても、なかなか解決策を見い出せ
ないのも、私たちがすでに経験済みの現実です。

当事者が色々な試みをなし、それから学び、また他地域の試みやその結果とも
比べ合わせながら、地道に相応しい対策を考えて行く。その過程で、あくまで
当事者の主体性を尊重しながら、ヒントを与え、促してくださる専門家がいれば、
随分勇気づけられることになります。

私たちの「町つくり委員会」では、かつては当時同志社大学の谷口先生や、
現在においては京都外国語大学の南先生が、その役割を担ってくださっている
のでしょう。

一方私は現代美術を鑑賞するのも好きですが、現代美術の作品を観る楽しみの
一つに、普段は漠然としたものとしてしか捉えることの出来ない、現実社会に
係わる問題を、その作品を通して視覚化されたもの、あるいは私自身の心に
直接訴えかけて来るものとして体験するという、効能があると感じます。

この論法で行くと、さしずめ町つくりの専門家の資質も、アーティスト的でなければ
ならないのではないか?上記のことばを読んで、そんなことを考えました。

2017年1月3日火曜日

恒例の初詣に、伏見稲荷大社へ

2017年1月2日、今年も初詣に伏見稲荷大社へ行って来ました。

今年の正月、元旦、2日は好天に恵まれ、寒さもこの時分にしては和らいで、
あらかじめ覚悟はしていましたが、果たせるかな午後1時過ぎに京阪伏見稲荷駅に
着くと、駅前から神社に向かう夥しい数の人の列が出来て、すでにスムーズに流れず
停滞しています。

ようやく神社に近づいても、何時ものように直接神社の入り口の大鳥居をくぐることは
叶わず、参拝者が一時に境内に流れ込むのを緩和するために、鳥居を通り越して
くねくねと蛇行する列の通路が設けてあって、なかなか境内には入れませんでした。

その工夫のお蔭で、大鳥居をくぐってから本殿までの道行きは比較的楽に進めました
が、本殿前の参拝のための二手に分かれた列も例年以上の人の多さで、実際に
参拝するまでには、かなりの時間がかかりました。

今年の人出はここ数年では最高と実感され、事実かなりの時間を要しましたが、私は
初詣にある程度の労力を必要とすることは、ご利益を得るためにはやむを得ない
ことと考える方なので、本殿参拝後稲荷山にも回って、参道に連なる有名な千本鳥居を
くぐって要所要所で参拝しながら登り、切りのいいところで下りて、商売繁盛のお札、
福かさねの縁起物を求めて、満足して帰って来ました。

昨年の和装業界を取り巻く環境はかなり厳しく、私たちの店もようやく11月、12月に
なって来店されるお客さまの数もすこし増え、希望の兆しのようなものが見えて来たと
感じましたが、自身の商品とサビースの一層の充実を図るのは無論のこと、この
初詣の日の天候のように今年こそ、明るさが広がることを切に願うところです。

このブログを綴り始めて早3年が経過しました。何時しかブログに託して自らの思いを
吐露することも、習慣化して来ました。私の興味が続く限り、今しばらく続けて行き
たいと思います。