2017年1月7日土曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の公権力批判

2017年1月5日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載172には
吾輩が主人苦沙弥先生の挙動を眺めながら、当時の我が国の公権力批判を
弁じる、次の記述があります。

「聞くところによると彼らは羅織虚構を以て良民を罪に陥れる事さえあるそうだ。
良民が金を出して雇って置く者が、雇主を罪にするなどときてはこれまた立派な
気狂である。」

「ところが委任された権力を笠に着て毎日事務を処理していると、これは自分が
所有している権力で、人民などはこれについて何らの喙を容るる理由がない
ものだなどと狂ってくる。」

現代に生きる私たちの目から見ると、随分リベラルで先見性のある物言いだと
感じます。明治時代にもこんなに言論の自由があったのですね。私は浅学に
して知りませんでしたが、そういえば治安維持法や特高警察の締め付けは、
もう少し後のことなのでしょう。

でもいずれにしても、大日本帝国憲法の時代に、新聞など公の場でこのような
意見を開陳することは、腹の座った硬骨漢でなければ出来ないことだと、私は
推察します。漱石の面目躍如たるところではないでしょうか?

しかしこれらの論説を現代の社会情況に照らし合わせてみると、民主主義
社会と言われるようになっても、私たち人間のやることはあまりかわり映え
しないんだと、感じさせられます。なぜなら、同様のことがしばしば報道で取り
上げられ、批判されているのですから。

そのような意味でも、「吾輩は猫である」は普遍的な小説かもしれません。

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