2017年1月5日木曜日

鷲田清一「折々のことば」623を読んで

2016年12月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」623では
美術家藤浩志の共著「地域を変えるソフトパワー」から、次のことばが取り上げ
られています。

 「悩む存在」が生まれることを回避するのではなくて、それをつくり出すのを
 得意とするのが、アーティスト・・・・・なんじゃないか。

微力ながら「町つくり委員会」に籍を置き、これに係わる者として、少なからず
示唆に富むことばです。

地域の置かれた現実、地域ごとの問題点は千差万別であり、行政からの一律の
解決策や、専門家による上からの問題提起では、その地域における最善の
解決方は導き出されないでしょう。

しかし実際には地域の人間が知恵を絞り合っても、なかなか解決策を見い出せ
ないのも、私たちがすでに経験済みの現実です。

当事者が色々な試みをなし、それから学び、また他地域の試みやその結果とも
比べ合わせながら、地道に相応しい対策を考えて行く。その過程で、あくまで
当事者の主体性を尊重しながら、ヒントを与え、促してくださる専門家がいれば、
随分勇気づけられることになります。

私たちの「町つくり委員会」では、かつては当時同志社大学の谷口先生や、
現在においては京都外国語大学の南先生が、その役割を担ってくださっている
のでしょう。

一方私は現代美術を鑑賞するのも好きですが、現代美術の作品を観る楽しみの
一つに、普段は漠然としたものとしてしか捉えることの出来ない、現実社会に
係わる問題を、その作品を通して視覚化されたもの、あるいは私自身の心に
直接訴えかけて来るものとして体験するという、効能があると感じます。

この論法で行くと、さしずめ町つくりの専門家の資質も、アーティスト的でなければ
ならないのではないか?上記のことばを読んで、そんなことを考えました。

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