2017年1月16日月曜日

鷲田清一「折々のことば」637を読んで

2017年1月15日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」637では
児童文学者清水真砂子の「大人になるっておもしろい?」から、次のことばが
取り上げられています。

 では、怒らずにどうしていたか。むかついていました。

私も若い頃、怒りという感情が苦手でした。それは私の少年期に父に叱られる時、
父が決まって、有無を言わせぬほどに高圧的であったことが、影響しているの
だろうと思います。

それゆえ私は、対人関係で相手に出来るだけ不快な思いをさせない、怒らせない
ということを最優先にして、家族や周囲の人々に接していた時期が長かったと、
振り返ってみて今は感じます。

でもそれでは、自分の気持ちを押さえつけることになり、また言いたいことを十分に
主張出来ないことにもなり、鬱屈を覚えたり、ストレスを感じることも、多々あり
ました。

しかし社会との関わり方や、家族関係の変遷を経て、近年では、人と人との交わり
において、時として怒りという感情を意思表示し合うことも必要なのではないかと、
思うようになって来ました。

それぞれが抱く怒りを伝え合うことによって、互いの気持ちが通じ合い、問題意識を
共有することが出来る場合もあるでしょう。怒りの表明によって、かえって絆が深まる
こともあるはずです。

要は一方的に相手に怒りをぶつけるのではなく、憤っている理由が相手に伝わる、
あるいは共感出来るような、冷静さを失わない方法で怒りを表出できたら、それは
ずっと健康的な怒り方になるのではないか?

実際にはかなり難しいけれど、上記のことばに触発されて考えました。

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