2017年1月25日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、突然訪ねて来た書生の佇まい

2017年1月24日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載184には
苦沙弥先生宅を何の前触れもなく、突然一人で訪れた教え子の中学二年生の
様子を記する、次の記述があります。

「着物は通例の書生の如く、薩摩絣か、久留米がすりかまた伊予絣か分らないが、
ともかくも絣と名づけられたる袷を袖短かに着こなして、下には襯衣も襦袢もない
ようだ。素袷や素足は意気なものだそうだが、この男のは甚だむさ苦しい感じを
与える。ことに畳の上に泥棒のような親指を歴然と三つまで印しているのは全く
素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちゃんと坐って、さも窮屈そう
に畏まっている。」

極めて軽妙洒脱な描写です。場面がありありと目に浮かび、思わずクスッと笑って
しまいました。

まず、着衣の描写が秀逸です。当時のいかにも書生、学生という風体の絣の着物。
恐らく擦り切れて、つんつるてんではなかったでしょうか。その着物から腕や足を
にゅっと突き出している。おまけに下にはシャツも襦袢も着ていなくて、そのうえ
足袋も穿かずに素足と来ています。彼ら特有の着衣の中でも、最も身なりを構わず、
ぞんざいで、申し訳程度に着ている感じがよく出ています。この表現を読んでいて、
私は現代の若者の洋装とは違い、和装には微妙な相違による独特のニュアンスが
あったのだと、感じ入りました。

さらに、その素足の汚れた親指が畳に足跡を付けている描写。それが三つまで
印されていて、四つ目の上に座っているという表現は、いたずら坊主が先生の家の
座敷に通されて、そっと中に入り、隅の方で縮こまって、ぎこちなく座っている様子が、
にくいほどうまく描き出されています。

何とも楽しい、情景描写でした。

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