2016年5月29日日曜日

「京都国際写真祭」堀川御池ギャラリー会場2階の展示を観て

さて1階会場で新生児の生の息吹に触れ、高揚した気分で2階会場に赴くと、
そこでは、立命館大学国際平和ミュージアムとの共同企画、「WILL:意志、
遺言、そして未来ー報道写真家・福島菊次郎」が開催されていて、厳しい
現実の容赦ない提示の前に、粛然とさせられました。

福島は我が国を代表する報道写真家の一人で、広島の被爆被害、水俣病を
初めとする環境問題、全共闘運動、三里塚闘争、自衛隊と兵器産業など、
戦後日本の直面した諸問題を容赦なく告発し、歴史の負の側面に光を当てて
来ました。

その視線は常に被害に苦しむ弱い立場の人々に注がれ、為政者や加害企業
などの権力を有する側が、隠蔽を画する都合の悪い事実に深く切り込み、
広く社会に実情を提示することによって、弱者救済や、不正を正すことを
訴えました。

本展は、福島が生前に制作し、解説を加えたベニヤ製パネルを中心に構成し、
彼の活動の足跡を振り返る写真展となっています。

それらのパネルを順を追って観て行くと、戦後生まれの私が成長の途上で
報道あるいは実体験として接した、様々な暗く、重い現実が目の前に
よみがえり、暗澹とさせられます。またある事件などは一時の狂騒にも似て、
苦い現実として記憶されているものもあります。

しかし福島の原発事故や現政権の憲法の解釈改憲の実施に触れると、この
報道写真家が告発したものと地続きの問題が、今も切実な問題として私たちの
眼前に存在していることを、感じます。

そういうことを思い起こさせてくれる、重い展観でした。

2016年5月27日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、悪者扱いされる傷心の吾輩

2016年5月27日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載36に、
好意を寄せる三毛子が亡くなったことを知って、落ち込んでいるのにも
関わらず、彼女の死があたかも自分のせいであるかのように、彼女の
飼い主である二絃琴の御師匠さんとその下女に散々そしられて、傷つく
吾輩の様子を記する、次の文章があります。

「吾輩はその後野良が何百篇繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき
談話を中途で聞き棄てて、布団をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万
八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いをした。」

読んでいて、吾輩が不憫でなりません。猫の心人知らず、と言ったところ
でしょうか?

それにしても御師匠さんに象徴される人間は、自分の可愛がっている猫は
あたかも大切な人のように扱い、よその猫は風采が上がらないといって
かたき扱いする、はなはだ身勝手な存在です。

また三毛子が死んだからといってわざわざ坊さんにお経を挙げてもらったり、
戒名を付けてもらうなど、自分たちの価値観、宗教観で弔って、相手も
浮かばれると自己満足している、大変おめでたい存在でもあります。

その点吾輩には、結果として理解のある放任主義者の飼い主苦沙弥先生が
付いていて、伸び伸びと猫ライフを楽しめます。

彼にも、十分に恵まれたところがあるのです。

2016年5月25日水曜日

「京都国際写真祭」堀川御池ギャラリー会場1階の展示を観て

新聞でこの写真祭の告知を目にして興味を覚えたので、堀川御池ギャラリー
会場に足を向けてみました。

1階では、フランスの写真家ティエリー・ブェットによる「うまれて1時間のぼくたち」
が開催されています。

この展示では、純白の円筒状にしつらえられた展示スペースに入り口をくぐって
入ると、円筒の内壁に、大きな正方形のフォーマットをとった、生後1時間以内の
表情豊かな新生児のアップのポートレート写真が一面にぐるりと並び、一瞬
母体の子宮内に迷い込んでしまったような錯覚に襲われます。

生まれて1時間以内というのに驚くほど表情が多種多様で、何かその子が
大人になった後の性格や風貌が想像されるような、あるいは、世界の色々な
人間が色々な場面で作る表情が、これらの赤ちゃんの表情の内に出尽くして
いるような感慨を抱きました。

人間なんて所詮、生まれてから大人になるまでそんなに成長しないものなのだ、
とも思われますし、また新生児が母体から生まれ出て来るということは、一つの
衝撃的な出来事で、赤ちゃんもその子なりに試練を乗り越えて、ワンランク
成長したのだ、とも言えるのではないでしょうか?

またここに写し取られている新生児は、全て人工授精で命を授かったということで、
生命というものが人間によって操作される可能性が広がる時代にあって、やはり
生命の尊厳は一線を超えては侵しがたいものであること、しかし人が自らの幸福の
追求、つまりは自分の子供を持ちたいという基本的な欲求を、どこまで叶える
ことが出来るのかということとの折り合いを、どこでつけるべきかということなど、
複雑で、デリケートな問題について、この展示は多くを語り掛けているように感じ
ました。

2016年5月23日月曜日

京都高島屋グランドホール「第45回日本伝統工芸近畿展」を観て

今回の伝統工芸展も、仕事とつながりがあり、興味も持っている染織を中心に
観て来ました。

今展では人間国宝や看板作家の作品に、さすがの充実した技量を感じさせ
られました。

森口邦彦の友禅訪問着「こもれび」は、淡いグレー地に一面にあられを散らした
ような撒きのりと線の表現だけで、従来の幾何学的で硬質なイメージを超えた
微妙で柔らかな表情を醸し出し、華やぎのある作品になっていると、感じました。

福田喜重の駒塩瀬名古屋帯「繫」は、非常に細かい点のつながりで表現された
単色の刺繍の不規則な網目状の空間の要所要所が、これも微妙な色合いの
色糸の刺繍の点のつながりで埋められて、繊細な中にもリズミカルで、詩情の
あふれる作品になっています。

村上良子の紬織着物「若葉の斜景」は、肩の辺りが微妙にぼかされている、
全体としてはやや生成りがかったクリーム系の地色の裾に、派手に主張は
しないが、何とも言えず美しい緑色の模様が斜めに織り込まれて、平板に
なりがちな紬織の着物に、たおやかさと奥行きを生み出しています。また
草木染の色の豊饒さも、堪能させてくれる作品です。

これらの作家は、従来の仕事によってすでに高い評価を受けて来ていますが、
時代の状況も踏まえ、常により優れた作品を作り出そうとする姿勢に、強い
感銘を受けました。

2016年5月21日土曜日

鷲田清一「折々のことば」403を読んで

2016年5月19日朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」403では
批評家ロラン・バルトの次のことばが取り上げられています。

 愛する者たちを語るということは、彼らが生きたのは(そして・・・苦しんだ
 のは)<無駄>ではなかったことを証言することです。

自分がどれだけその人を愛したかということをいくら語っても、それは所詮
自己満足に過ぎないかも知れません。

愛する人を語るということは、相手の立場に立ったなら、結局その人の生が
どれだけ意味があったか、あるいは、その人が自分にどれだけのことを
してくれたか、ということを述懐することになるのではないでしょうか?

私のような市井の者でも、敬愛する今は亡き人を思う時、その人との
関わりを思い、その人から受けた恩恵を思います。また、その人がいかに
素晴らしい人であり、いかに価値ある人生を生きたかを想起したくなり
ます。

人生というものが多くの場合苦難に満ちたものであり、それぞれの生に
物語が隠されている以上、せめて愛するひとに対してはその生を肯定
したい。

そうすることが、自分の生にも意味を見出すことに、つながるのでは
ないでしょうか?はなはだ抽象的ながら、上記のことばに接して、思うままを
記しました。

2016年5月18日水曜日

長嶋有著「佐渡の三人」を読んで

佐渡の先祖伝来の墓に、親族の遺骨を次々に納めに行く珍道中を描く、連作短編
です。

長嶋有は芥川賞受賞作家ですが、私は今まで彼のことをほとんど知らなくて、今回、
朝日新聞の日曜読書面で、この本を同じく芥川賞作家羽田圭介が推薦している
のを見て、手に取りました。

それゆえ本連作の主人公が女性作家なので、最初てっきり作者は女性小説家だと
思い込んでいましたが、偶然Googleで検索して男性作家だと知り、この本を
読み進めることが俄然味わい深いものとなりました。

しかし本書は、一貫して親族の納骨と葬儀を描くのに、じめじめしたところは微塵も
なく、さばさば、からっとして独特の肌触りがあります。それでも全編に何か温かく、
ほのぼのとしたものが流れ、読後肩の力が抜けるようなさわやか気分を味わう
ことが出来ました。

その理由を考えてみると、佐渡の御殿医に端を発するこの一族の人間たちが
ことごとく個性的で、自分の生きたいように生きていること、互いに余り干渉せず
適度な距離を取っているが、それでいて親族としての緩い絆は確かに存在して、
親子の情、相手を思いやる心を持ち合わせていること、そして何より、男性作家が
女性に成りすまして、醒めた目線で語り部を務めていること、が挙げられると思い
ます。

主人公道子先生を初め、そのような親族の面々が、代わる代わる亡くなった
隣のおばちゃん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、隣のおじちゃん、それぞれの
思惑はともかく、遺骨を父祖の地に納めるべきだと、佐渡への珍道中を繰り返し
ます。

そこから浮かび上がって来るのは、家族にとってその一員の死とはどういうことで
あるか、祖父母世代の死によって残された家族が失うもの、受け継ぐもの、新たに
生まれるものは何か、ということであるように感じられました。

またこの作品は死を大きなテーマに据えていますが、高齢者介護についても
示唆を与えてくれると、高齢の母と生活を共にする私には感じられました。

すまわち道子先生の弟は、引きこもりになり定職に就かず、再婚した父親にも
反発して寝たきりの祖父母の家に居候し、ネットゲームに興じながら介護を担当
しているがその姿がきわめて自然体で、また祖父母の死を通して彼が社会との
つながりを取り戻して行く様子も見て取れて、介護においては、将来への展望の
なさに対する不安に必要以上に囚われることなく、彼のように肩の力を抜くことも
必要であると、感じさせられました。

私にとっては色々と考えさせてくれる、有用な小説でした。

2016年5月16日月曜日

スヴァンテ・ぺーボ著「ネアンデルタール人は私たちと交配した」を読んで

ネアンデルタール人のゲノムの解読に初めて成功した、分子古生物学者の自伝
です。

それにしても私のような一般の人間でも、私たちホモ・サピエンスとネアン
デルタール人の間に性的関係があったのかどうかということは、十分興味を
引かれる話題です。

そんな訳で本書を手にしましたが、ゲノム解明に至る過程は、難題の続出による
試行錯誤の繰り返しや、他の研究者との一刻を争うせめぎ合いなど、想像以上に
スリリングなものでした。

ゲノムといっても、生物の細胞に内蔵される遺伝子情報ぐらいの認識しかない
私にとって、現存生物のゲノム解読もなかなか実感のつかめない話で、ましてや
数万年前に死滅した古生物のゲノム解明など、途方もないことに思われます。

しかし遺伝子を巡る分子生物学の進歩は目を見張るものがあり、それに平行して
古生物の遺伝子研究も目覚ましい発展を遂げていることが、本書を読むと了解
出来ます。正にその最前線に位置するのが著者です。

ですが輝かしい研究成果を上げるに至った彼の研究者生活も、決して当初より
成功を約束されたものではありませんでした。一時は臨床医になることも考えた
医学生時代に、幼少の時分より興味のあったエジプト考古学と分子生物学の
融合を思いつき、分子古生物学の領域に進みます。

古代の化石から抽出されたDNAには必ず、劣化、異変そして現代のDNAの混入が
あり、その特定に苦慮しながら、ネアンデルタール人のゲノム解読という格好の
研究対象を見出しますが、最初は到底実現困難なことに思われます。

しかし自身と研究チームの卓抜なアイデアや血のにじむ努力、研究技術の
飛躍的な向上や研究に適した新たな化石の発見など幸運にも恵まれ、遂には
ゲノム解明に至り、結果として現生人類とネアンデルタール人の交配という
衝撃的事実を明らかにします・・・。

彼の研究者としてばかりではなく人間としても素晴らしいところは、初期の志を
首尾一貫して貫徹する情熱と強い意志を持ち続けたこと、研究成果を十分な検証を
経るまで発表しない誠実な人柄、そして折にふれて、スタッフや研究仲間に気遣いを
見せる優しさにあると、感じられました。

本書の中の心に残る言葉は、人間と類人猿の違いは、人間には類人猿にはない
他者をおもんばかり、真似る能力があるというもので、その能力ゆえに人間は今日の
文明を営々と築き上げることが出来たということです。

著者の優れた研究も彼一人によって成し遂げられたものではなく、その分野に
関連する様々な科学者、技術者、研究者の努力の総和として生み出されたものです。
その点において人類は互いに学び、協力し合うことによって、未来に向けてより良い
社会を作り出す可能性を秘めていることも示してくれる、啓蒙的な書でした。

2016年5月13日金曜日

鷲田清一「折々のことば」397を読んで

2016年5月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」397に
ある飲み屋の常連客の女性がもらした、次のことばが取り上げられています。

 きょうは私の日じゃない

一つの空間に人と人が居合わせたり、あるいはそこで互いのコミニケーションを
図る時、心地よい関係を保つためには、場の空気というものが大変重要で
あると、経験上も感じます。

例えば店でお客様のお相手をしている時、一対一なら個人的なコミニケーションの
良否の問題ともいえますが、一つのグループで複数のお客様がおられる場合、
あるいは互いには面識のない複数のお客様が同席しておられる場合には、
その場の雰囲気がとげとげしかったり、いらだちを含むものにならないように
腐心します。

もしそのような雰囲気になったら、商談もスムーズには進みにくいし、お客様に
私たちの店に対して好ましくない印象を残す恐れがあるからです。

それほど場の空気は大切なものだと、私は思います。でも他方、お気に入りの
飲み屋の常連客が、上記のことばのような達観の持ち主であるとしたら、十分に
その女性は人生の楽しみ方の達人であると感じます。私もそうありたいものですし、
これほど気に入っている行きつけの店を持ちたいものです。

一方場の空気というと、近頃は広く共有されにくくなって来ているようにも感じます。
例えばテレビの時代劇で、登場人物間のいわゆる腹芸が見られないのも、これが
原因ではないでしょうか?役者が昔に比べればおおげさな感情表現を伴う演技を
して、私のような古い人間は、かすかな違和感を感じることがよくあります。

2016年5月11日水曜日

龍池町つくり委員会 28

5月10日に、第46回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、龍池自治連合会総会に向けての、町つくり委員会の報告書、並びに
新年度の事業計画書について検討がなされました。

続いて7月15日(金)に開催予定の、マンガミュージアムで浴衣を着て鷹山の
お囃子を楽しむ催しの具体的な案が、担当の森さんより説明されました。

催しは「たついけ浴衣まつり」と名打ち、浴衣を着て祇園祭を楽しみ、鷹山の
お囃子を通して地域の交流を計るという目的で、17:00~20:30の予定で
実施します。

浴衣まつりでは、鷹山のお囃子を始め、子供たちのお囃子体験、絵描きの
やすさんによる「似顔絵コーナー」、マンガミュージアムによる飲食の屋台
コーナー、ゲームの夜店コーナーを設営、他にも龍池体育振興会による
かき氷のコーナーなど、さまざまに盛り上げる予定です。

次に秋に実施予定の京都外国語大学南ゼミとの共同企画、「たついけ
スタンプラリー」では、本年はカルタプロジェクトで作成したカルタを活用して、
従来とは違う、地域外部から見た「龍池の魅力」を見付けるという視点から、
子供だけではなく、大人の参加も促す催しにしたいという抱負が、担当の
小林さんと南先生より語られました。

最後に私事ながら、今年度より私が龍池学区自主防災会会長に就任した
ことにちなんで、防災という観点から地域の安全について話し合いました。

やはり町つくり委員会の課題と同じく、地域のコミュニケーションを活性化
させるということ、自分たちの地域は自分たちで守るという意識を高める
ということが肝心で、自治連の他の組織とも連携して、学区民に意識付け
出来る工夫をして行きたいと考えています。

2016年5月9日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、猫の人間に対するスタンス

2016年5月9日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載23に
主人苦沙弥先生を初めとする、周囲の人々のいかにも滑稽な言動に、猫の
吾輩が感慨を吐露する、次の記述があります。

「第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなもの
だろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。
主人はいよいよ柔かに頭を撫でてくれる。人を笑って可愛がられるのは
ありがたいが、聊か無気味な所もある。」

思わず微苦笑せずにはいられない物言いです。主人の立場になれば、
頭を撫でてやっているから、この猫はさも気持ち良さげに咽喉を鳴らしている
のだろうと解釈して、可愛いやつめと感じているでしょう。

ところがどっこい猫の方では、主人と客のやり取りに呆れて、人間とはまったく
愚かなものだなあと、笑っているのですから。虚仮にされながら悦に入っている
人間の方こそ、いいつらの皮です。

人間の愚行を、彼らが自分たちより劣る存在と考えているものの立場から笑う。
しかもその笑われていることを、自分のしてやったことによって、相手が喜んで
いるのだと、呑気に誤解する。

ここまで来ると、人間も救われません。しかし当の猫の目線にも、辛辣なだけ
ではない、養ってくれるものに対する親愛の情もある。何だか複雑です。

だから我々読者も、安心して楽しめるのかも知れませんが・・・

2016年5月6日金曜日

京都市美術館「琳派降臨 近世、近代、現代の「琳派コード」を巡って」を観て

琳派誕生400年を記念する、一連の展覧会の一つです。

本展は琳派により培われ、発現した日本人固有の美意識が、近代、現代へと
いかに継承され、また未来に展開する可能性を秘めているかを、琳派の美の
エッセンスを「琳派コード」と捉えて検証を試みる展覧会です。

つまり琳派の美意識が、いかに以降の我が国の芸術家に影響を与え、現代の
革新的な創作者にとっても重要なテーマであるかということを示す、展覧会とも
言えます。

本展でまず私の目を引いたのは、神坂雪佳の展示コーナーです。神坂は
近代の琳派継承者としてよく知られていますが、私は今まで版画くらいしか観た
ことがありませんでした。この展示では彼の作品の他に、工芸家との共同作品も
多く展観されています。私はそれらの作品の洒脱さや洗練に、琳派の匂いを強く
感じました。

また明治期以降西洋的な美術観が導入されて、次第に絵画と工芸を明確に
区別するようになりましたが、身の回りを美で彩るものとして珍重された、
江戸期の工芸品に対する価値観をも、近代において継承する芸術家として、
神坂の存在があったことを強く印象付けられました。

近代以降の日本画壇に琳派の美意識が受け継がれていることは、私も薄々
感づいて来ましたが、何と言っても興味を引かれたのは、現代の「RINPAコード」
のコーナーです。

このコーナーは、現代の芸術家の作品の中に琳派のエッセンスを探る試みで、
特に印象に残ったのは、まず細見美術館でも観た名和晃平「PixCell-Fallow
Deer#2」、鹿の剥製らしき造形物が全身透明な水玉状の物質をまとうことによって、
抒情的で幻想的雰囲気を出現させています。琳派にある儚さの美の要素を、
体現しているようにも思われます。

福田美蘭の3点の絵画はパロディー性も強いですが、視点の斬新さや外連味に
おいて、琳派を確かに継承しているように感じられます。

山田えい子の「曲紋の錦糸」「曲紋の舞」の2点のガラス造形作品は、硬質な
素材を用いながら、色の美しさ、模様の愛らしさ、形の絶妙のたわみがマッチして、
祝祭的な華やいだ気分を演出します。このような雰囲気も、琳派の忘れられない
要素の一つであると思います。

こうして観て来ると琳派の美意識は、私たちの心の奥深くにくっきりと刻印されて
いることに、今さらながら気付かされます。最早、日本人のアイデンティティーの
一つと見做してもよいのではないでしょうか。



2016年5月4日水曜日

春の「京都非公開文化財特別公開」で、伏見稲荷大社に行って来ました。

伏見稲荷大社へ行くのは、初詣以来です。何故今回の特別公開で訪れる
場所を伏見稲荷にしたかというと、お参りには行きつけているこの神社に、
非公開の文化財が存在するとはまったく知らなかったからで、それだけに
興味がわいた次第です。

さて本殿にお参りしてから、今回公開されている荷田春満旧宅(史跡)にまず
向かいます。これは、伏見稲荷大社の社家出身で、江戸中期の日本の四大
国学者の一人である、荷田春満の生家ということで、江戸期の社家造りを
今に留める貴重な建築物だそうです。

こじんまりとした瀟洒な造りで、座敷の欄間の装飾なども面白く、趣味の良い
建物だと感じました。また庭も広くはないが美しく整っていて、塀越しに
神社内の狐の像が望めるのは、一説にはその部屋に宿泊した人に雰囲気を
味わってもらうためということで、細部まで行き届いた目配りを感じさせられ
ました。

次に訪れたお茶屋(重文)は、後水尾天皇から拝領を受けた建物で、
書院造から数寄屋造への移行期の実例を残すものだそうで、障子の桟
などにその特徴が示されていると、説明の係員から教えられました。二階に
上がると一望の下に広がる、斜面にしつらえられた庭の景観が素晴らしく、
思わず見とれてしまいました。

隣接する松の下屋では、版画家棟方志功の揮ごうによる掛け軸「稲荷
大明神」が飾られていて、この作家らしいたけだけしく、雄渾な筆勢が、
稲荷神の霊験を体現しているかのように感じました。

同じく志功の水墨による襖絵では、私はこの公開の案内に記載されていた
「御鷹図」より、部屋の三方を囲むように描かれた「御牡丹図」が、剛毅さの
中にも温もりを感じさせて、好ましく思いました。

2016年5月2日月曜日

小熊英二著「生きて帰ってきた男ーある日本兵の戦争と戦後」を読んで

気鋭の社会学者による、自らの父親の足跡を通して市井の立場から、我が国が
直面した第二次大戦の戦前、戦中、戦後の状況を探る論稿です。第14回
小林秀雄賞受賞作です。

私は戦後生まれですが、今の日本を知るためにも、あの戦争前後の社会情勢に
大変興味があります。特にこれらの激動の時期については、俯瞰する立場から
書かれた歴史書は多く刊行されているので、かねてより庶民の視点に立って
この時代を振り返る書を、読んでみたいと思って来ました。それゆえ、本書を
手に取った次第です。

本書の主人公謙二は、丁度今は亡き私の父ともほぼ年齢が重なるので、父の
人生をも思い返しながら、読み進めることになりました。

まず真っ先に感じるのは、彼ら(謙二、父)の人生の波乱万丈さです。あの大きな
戦争が勃発したのだから、当然といえば当然ですが、戦後復興期から
高度成長期に成長した私たちの世代とは、生死についても明日をも知らぬという
人生体験において、天と地ほどの差があります。

だからこれらの世代とは私たちは全く別次元の存在であると、これまで考えて
来ましたが、本書を読むと、当人がその時々に置かれた状況や直面する事態に、
自分の対応出来る範囲で適切な選択をしようと行動するところや、人生という
ものがままならず、また往々に運、不運が生き方を左右するものであるという点に
おいて、謙二らの当時の人生と今の私たちのそれには、思っていた以上に共通
する部分が多いと知らされました。

この気づきによって、生前の父の人生経験に私がイメージしていたものと、それを
前提として、いくばくかの距離感を持ってしか父と接することが出来なかったことの
余りにもの落差の大きさに、今更ながら驚かされました。

しかし逆を返せば、時代は変われど人間の生活行動の本質が変わらない以上、
戦前や敗戦前後の庶民の経済的困窮や、戦争という生理的に人の命が大変軽く
取り扱われる危機的事態が、そのただ中に生きる人々の人生をどれほど翻弄
するかという事実を、本書は明解に焙り出し、国家のあるべき姿に大きな示唆を
与えていると言えます。その意味において、本書は過去を語りながら未来を
指し示す書でもあります。

謙二の人生の、激動の時にも常に目的意識を失わず、道理をわきまえた真摯な
生き方、またそれを理路整然と客観的に語る能力、そして著者である英二の
自分の父の時々の行動に、研究者らしく当時の社会、経済状況を的確に重ね
合わせる技量、両者の絶妙の取り合わせによって本書が成り立っていると
言えます。

はっきりとは語られぬとも、父の生き方の核心は、確実にその息子に受け継がれて
います。