2016年5月27日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、悪者扱いされる傷心の吾輩

2016年5月27日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載36に、
好意を寄せる三毛子が亡くなったことを知って、落ち込んでいるのにも
関わらず、彼女の死があたかも自分のせいであるかのように、彼女の
飼い主である二絃琴の御師匠さんとその下女に散々そしられて、傷つく
吾輩の様子を記する、次の文章があります。

「吾輩はその後野良が何百篇繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき
談話を中途で聞き棄てて、布団をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万
八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いをした。」

読んでいて、吾輩が不憫でなりません。猫の心人知らず、と言ったところ
でしょうか?

それにしても御師匠さんに象徴される人間は、自分の可愛がっている猫は
あたかも大切な人のように扱い、よその猫は風采が上がらないといって
かたき扱いする、はなはだ身勝手な存在です。

また三毛子が死んだからといってわざわざ坊さんにお経を挙げてもらったり、
戒名を付けてもらうなど、自分たちの価値観、宗教観で弔って、相手も
浮かばれると自己満足している、大変おめでたい存在でもあります。

その点吾輩には、結果として理解のある放任主義者の飼い主苦沙弥先生が
付いていて、伸び伸びと猫ライフを楽しめます。

彼にも、十分に恵まれたところがあるのです。

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