2017年12月30日土曜日

高野秀行著「謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>」を読んで

納豆というとあの粘り気といい、独特の臭いといい、日本独自の食品と思って来ま
した。だからアジアの諸国でも食べられていることが、まず衝撃でした。

しかし高野秀行は、十数年前ミャンマーの辺境の村で出会った納豆と思しきものを
切っ掛けとして、持ち前の好奇心と行動力で、各地の納豆を辿って行きます。
本書では、彼の飽くなき冒険心が歯切れ良い語り口も相まって、読者を納豆の
ルーツを探る壮大な旅へと誘います。

タイ、ミャンマー、ブータン、ネパール、そして中国南部と、各国の納豆事情を調べる
旅のルポを通してまず感じたのは、それらの地域でのこの食品の食べ方が、現在の
私たち日本人の食べ方とは随分違っていることです。

つまりこれらの地域の人々は概ね納豆を調味料として使用し、出来立てを食べる
こともありますが、発酵させた大豆に香辛料を加えてすりつぶし、薄くのばして乾燥
させるなど保存性に留意し、それを他の食材と混ぜて料理を作るなり、水分で戻して
納豆汁を作るという食べ方をします。従って彼の地の納豆にも特有の臭いはあります
が、粘り気はあまりないようです。

それに対して私たち日本人は、関東では納豆にたれと辛子を合わせ、関西では生卵
と醬油を合わせるというような地方による違いはあるにしても、概ねそのまま一品と
して食べるか、ご飯にのせて食べます。それ故臭いはともかく、粘り気のある方が
納豆として好まれます。

このように現在における納豆の食べ方は、アジア、日本で違いはありますが、著者ら
が日本の納豆の歴史を調べてみると、我が国の納豆の発祥地と思しき東北地方では
今なお納豆汁を食べる習慣が残り、当初は両地域の食べ方にあまり違いはなかった
ものの、日本での食べ方に変化が起こったようです。

こうしてアジアと日本の納豆が単一ではないにしても、同時発生的な起源を持つ
だろうことが次第に明らかになって来ましたが、そのような前提の下で次に気づかさ
れるのは、アジア、日本の納豆食の残る地域が、歴史的に見て中国を中心とする
東アジア文化圏の辺境地に位置するということです。

つまり東アジアで隆盛を誇る漢民族は、過去は不明ですが長きに渡り納豆を食べる
習慣がなく、彼らから押しやられた、あるいは影響力の及びにくい辺境、島嶼の人々
に納豆食が残ったと推察されるのです。

身近にある何気ない食品から、このような冒険譚を生み出し、食文化の奥の深さを
明らかにした著者の手練はたいしたもので、同時に私も、実際にアジアの辺境地を
旅したような遥かな気分を、味わうことが出来ました。

2017年12月27日水曜日

鷲田清一「折々のことば」971を読んで

2017年12月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」971では
サンタクロースは本当にいるのかという少女の質問に、ニューヨーク・サン紙の
記者が社説で答えた『サンタクロースっているのでしょうか?』から、次のことばが
取り上げられています。

 サンタクロースがいなければ・・・・・・人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえる
 もの、手でさわるもの・・・・・・だけになってしまうでしょう。

クリスマスイブに相応しい「折々のことば」です。もっとも私たちの国では一時、
クリスマスやサンタクロースが信仰とはまったく別の、商業主義的な空騒ぎに利用
されていましたが・・・。

でも我々のようなキリスト教の信仰がない者でも、クリスマスにサンタのプレゼントを
もらって目を輝かせている子供を見るのは楽しいことですし、幼い子供がサンタの
存在を信じていることを、好ましいと感じるのではないでしょうか?

人間は大人になるほどに、目に見えるものしか信じなくなる。目に見えないものは
絵空事と見なして、現実を生きるための役には立たないと考える。これは実用的な
学問が尊重されて、教養や文芸が軽視される風潮にも通じると思います。

しかし本来人間は目に見えないものから様々なものを汲み取り、細やかな情操を
養って来たのではないか?現実的なものの見方や功利主義的な考え方は、主に
市場経済の発展に伴って、後からついて来たもののようにも感じられます。

大人になってもせめてたまには、童心に帰って空想の世界に遊びたいなんて、
見果てぬ夢でしょうか?

2017年12月25日月曜日

京都文化博物館「至宝をうつすー文化財写真とコロタイプ複製のあゆみー」を観て

本展は京都の美術印刷の老舗便利堂の創業130周年を記念した、同社の制作物
などのまとまった展示を通して、一般の鑑賞者にも分かりやすくその仕事の内容を
紹介しようとする展覧会です。

私は以前当文化博物館で、表面が尾形光琳筆「風神雷神図」、裏面が酒井抱一筆
「夏秋草図」の元の姿を忠実に復元した、同社制作のコロタイプ複製の屏風を観て、
その精巧さに感銘を受けたので、本展を観ることにしました。

とはいってもこの展覧会を観るに当たって、当初は複製品と印刷物の展示ということ
で、美術展に行くよりは多少軽い気持ちで会場に向かいましたが、実際に観てみると
期待以上に充実した内容で、複製品制作の重要性についても新たな知識を得ること
が出来ました。

まず展示の冒頭では、現在の精密な写真複製が生まれる以前には、どのような形で
古文書などが伝えられて来たかとということを分かりやすく示す例として、「日本書紀」
や「源氏物語」の筆写作品から起こしたコロタイプ複製が展示されています。

それぞれに本来の原本は恐らく最早現存しておらず、筆写による模写作品が残って
いる故に、その姿を我々が認識することが出来るということです。従って、模写作品は
失われた古文書、文化財を知るために大変重要であり、しかし他方筆写した人物の
原本解釈や主観による改変がなされていないかにも、留意する必要があるということ
です。

さて便利堂は撮影した写真から元の姿を忠実に再現するコロタイプ複製の技術を
開発し、その技術が現代の文化財複製に活用されているといいます。展示されて
いる法隆寺金堂壁画や高松塚古墳壁画の複製品の臨場感には驚かされると共に、
それぞれの元の作品が消失や劣化により本来の姿を失っているという事情もあって、
古文化財の鑑賞のためにも、研究のためにも、大変貴重であると実感しました。

これらの複製制作の技術が高度な職人技であることも含め、美術の分野における
複製技術の重要性にも、私たちはもっと目を向けなければならないと、本展を観て
改めて感じました。

2017年12月22日金曜日

鷲田清一「折々のことば」968を読んで

2017年12月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」968では
作家司馬遼太郎の対談集から、対談相手の法制史家石井紫郎の次のことばが
取り上げられています。

 自分が普遍的なもののなかにいるという意識がないのがいまの状況だと思い
 ます。

このことばが語られたのは司馬の生前のことなので、20年以上前のことだと推察
しますが、現在は益々この傾向が強まっていると感じます。

人間は自身の人生の中で生老病死の決定に対して制約が多くあれば、それに
寄り添いながら生きて行かなければならないという意味から、社会や他者との
つながりという関係において、謙虚になるのだと思います。

現代の私たちの暮らす社会では個人の権利や自由が尊重され、一見かなりの
自由度で何事でも自分の意志で選択、決定することが許され、また医学の進歩
や栄養摂取条件の向上によって、以前には考えられなかったほどの高齢まで
健康と寿命を保つことが出来るなど、生きることに対する自在感が高まっている
のではないでしょうか?

人は高慢になればなるほど自己中心的に考え、社会とのつながりや、他者との
関係をおろそかにしがちになるのでしょう。この場合私たちが育まなければ
ならないのは、公共心や謙虚さを伴う倫理観だと、私は考えます。上記のことば
の中の”普遍的なもののなかにいるという意識”とは、そのことを現しているのだと
理解しました。

私の仕事柄からも一言付け加えさせて頂くと、儀式というものもそういう心証を
育む役割を果たすと思います。結婚式、葬儀、贈答、年中行事など、しきたりに
そって行うことは、勿論それが過剰になり過ぎてはいけませんが、人との関係を
つなぎ、自分自身の生き方に指針を与えてくれると考えるのですが、古臭いで
しょうか?

2017年12月20日水曜日

「後藤正文の朝からロック いつかこの落ち葉のように」を読んで

2017年12月6日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「いつかこの
落ち葉のように」と題して、筆者が歳を重ねるほどに紅葉の魅力に気づくようになった
ことにかけて、老いの効用について語っています。

確かに、春の桜の一斉の開花や花弁が風に舞う情景には、美しさとはかなさが微妙な
ニュアンスを伴って同居するような趣きがありますが、春の時期のこの樹木に私たちが
抱くイメージは、圧倒的に若さだと思います。

それに対して秋の紅葉の時期のこの木の装いは、同じく美しいとはいっても、ずっと
控えめで落ち着いていて、それでいて重厚な感じを受けます。

春が相対的に生命活動が活発になる夏へと向かう萌えいずる季節で、それに対して
秋は多くの生命が休息する冬へと向かうその兆しを示す季節ということも、秋に抱く
私たちのイメージが老いというものに結び付く切っ掛けとなっているのでしょう。

私自身は昔から、春の浮き立つような華やぎや生命感の横溢は、自分の性格から
して晴れがまし過ぎて、他方しみじみと落ち着いた気分に浸れる秋が性に合っている
と感じて来ました。

若い頃にはそんな自分の性分に、周囲から取り残されるような一抹の寂しさを感じる
こともありましたが、人生も終盤を迎えつつある最近では、秋が休息前の平穏や
下降線をイメージさせるだけでなく、次代につながるような繁栄や再生を準備する
ために気づきを与えてくれる季節と感じられて、益々秋に対する親和感が強まって
来ました。

本日の筆者のこの文章を読んで、そんな思いを再確認した次第です。

2017年12月17日日曜日

清野恵里子著「咲き定まりて 市川雷蔵を旅する」を読んで

着物の取り合わせを巡る著作が多く、雑誌のエッセイなどでも活躍され、何より
私たちの店にとっては、誂え染め帯揚を通して一般のお客さまとつながる契機を
与えて下さった、清野恵里子さんの待望の新刊が出ました。

数年前に本書の構想を伺った時には、常日頃清野さんといえば着物、古美術、
工藝への造詣の深さが思い浮かんだので、清野さんと市川雷蔵がすぐに結び付き
ませんでしたが、それ故清野さんがあの往年の映画スターの魅力をいかに描き
出されるのか、急に興味が膨らんで来ました。

さて私自身は、市川雷蔵というとすぐに眠狂四郎の円月殺法が思い浮かびますが、
残念ながら彼の映画を実際には観たことがありません。従って本書について
あれこれ語ることは適当ではないかも知れませんが、しかし未だ雷蔵映画を体験
していない人間が本書を通して初めて彼を知り、そこから感じ取った彼の俳優と
しての人となりと、当時の映画界を巡る時代背景を語ることも多少の意味があるか
と考え直して、以下の文章を綴ることにしました。

まず先に記した通り、私は市川雷蔵といえば眠狂四郎というように、従来彼の演じる
役柄に強烈な個性をイメージしていたので、彼が往時のスターに相応しい一貫した
キャラクターを演じ通した役者だろうと、思い込んで来ました。

ところが本書で、日本映画黄金期の大映の看板スターであった雷蔵は、観客の渇望
に答えるべく現在では想像もつかぬほどに量産された映画に出演し続けなければ
ならず、プログラムピクチャーと呼ばれる作品を中心に、15年間ほどの俳優生活で
何と150本以上の映画に出演したことを知りました。

しかも時代物、現代物を問わず研究熱心で工夫を凝らし、それぞれの役柄に没入し、
多くの作品で観客の脳裏に焼き付く個性的なキャラクターを演じ別けたのです。
本書の場景が眼前に広がるような記述と、豊富な場面写真から雷蔵の数々の
代表作を思い浮かべて、彼の役者としての天分に納得させられる思いがしました。

彼は肝臓がんのため37歳で急逝する直前まで、急激に斜陽化し始めた映画興行に
対する危機感から、自ら劇団を立ち上げ、映画界、新劇界を横断した新しい演劇の
上演を模索します。返す返すも、彼の早すぎる死が惜しまれます。

本書は、カバーの雷蔵のポートレート、見返しの早水御舟の「墨牡丹」が印象的で、
映画本編からキャプチャーした豊富な写真がページを彩る、贅沢な作りです。この本
を読んで今度こそ、雷蔵映画を一度観てみたいと思いました。

2017年12月16日土曜日

板尾創路監督映画「火花」を観て

この映画はお笑い芸人の世界を描き大きな反響を呼んだ、又吉直樹の芥川賞受賞
小説が原作で、私がその作品を読んで強い感銘を受けた上に、しかも監督が芸人
でもある板尾創路ということで、期待感を持って映画館に向かいました。

映画のストーリーはほぼ原作に忠実で、この作品の成功の秘訣は一重に、漫才に
並々ならぬ情熱を持って打ち込みながら、不幸にして笑いの感覚が世間とずれて
いる神谷と、その神谷に心酔し、自らも理想の漫才表現を求めて苦闘する徳永
という二人の売れない芸人で、師弟関係にある主人公役の俳優たちの演技力と、
それを引き出す演出に限られると思っていましたが、特に徳永役の菅田将暉は
秀逸であると感じました。

漫才を知り尽くした板尾監督の面目躍如と感じさせられたのは、原作でも一つの
見せ場である公園で太鼓を演奏する男と二人が遭遇する場面。太鼓のリズムに
合わせて掛け声を上げながら神谷が躍り出し、つられて徳永も踊ると、空はにわか
に描き曇り、雷鳴が響き、雨が降り出します。

このシーンは、漫才の間や掛け合いの極意を示してくれているようで、私はこの場面
に監督がこの映画で訴えかけたかった事柄が、凝縮されているように感じました。

少し予想外かも知れませんが、このシーンを観て私はすぐに、宮崎駿監督作品
「となりのトトロ」の中の、夜中に庭で植物の発芽を促すために五月やトトロたちが
祈りながら躍る場面を連想しました。いずれも新しいものが生まれる瞬間を象徴して
いるのでしょう。映画「火花」の中でも語られていますが、漫才にしても映画にしても、
その連綿と続く歴史の一つのピースとして、現在の営みがあるということを暗示して
いるのかも知れません。

この映画は、笑いの深いところを探究する少しマニアックなところがありますが、私は
十分に楽しめたと感じました。

2017年12月14日木曜日

鷲田清一「折々のことば」953を読んで

2017年12月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」953では
探検家、ノンフィクション作家の角谷唯介の『探検家の憂鬱』から、次のことばが
取り上げられています。

 冒険の現場というのは概ね退屈で、冒険に行くだけでは面白い文章が書けない
 ことが多い

私は自分では生涯体験できないような、秘境、危険地帯に果敢に足を踏み入れる
冒険家のノンフィクション作品を読むのが好きで、角谷の『空白の五マイル チベット、
世界最大のツアンポー峡谷に挑む』も読んで、胸躍らされたものです。

その件の冒険家が上記のようなことばを語るなんて、正直意外でした。

でも考えてみれば、冒険の現場でも映画や小説のように次々と特別な出来事が
起こる訳ではなく、徒歩、登攀というような地道な肉体的苦行の末に、幸運に恵ま
れれば目的地にたどり着く、或いは踏破することが出来る、ということなのでしょう。

では冒険家が素晴らしいノンフィクション作品をものにするためには、読者を惹き
つけるに足る、どのような目新しい発想で、話題性のある冒険を敢行することが
出来るか、またその冒険で自身が実際に経験した事柄を、自らの豊富な体験に
裏打ちされた知識や、鋭敏な感性をもって、いかに読者の心を打つようように表現
することが出来るか、ということが大切なのでしょう。

さて上記のことばについて、鷲田清一がコメントしているように、私たちの日常も
特別な事件は滅多に起こらず、ただ淡々と経過して行くだけです。でもその日々の
営みの中に、小さな喜びや感動を見出すことが出来れば、どれ程人生が満ち足りる
か・・・。私がこのブログを続けているのも、そんな想いがあるからなのでしょう。

2017年12月12日火曜日

京都国立近代美術館「泉/Fountain 1917-2017」を観て

今年がマルセル・デュシャンの《泉》誕生100年ということで、京都国立近代美術館では
所蔵するこの作品を一年間展示し、併せて現代美術家によるデュシャン解読の作例を
加えながら、現代美術のエポックとも言える《泉》について考える、レクチャーシリーズ
が開催されています。

この興味深い企画を新聞で知り、足を運びました。現在はシリーズのCase4として、
ウェールズ出身のペサン・ヒューズの、デュシャンを巡る思考過程をマインドマップと
して提示するプロジェクトが、併せて開催されていました。

A4用紙に記された、夥しいデュシャンの言葉や作品についての調査メモ、ドローイング
は、外国語の苦手な私には正直ほとんど解読不能でしたが、ただ眺めていても、
デュシャンの生み出した当時先鋭的な作品たちが、西洋美術の歴史的な流れに裏打ち
された思考から生まれたものであることは、理解できました。いやそれ故にこそ、革新的
であったのでしょう。

さてこの企画の展示スペースのメインに据えられた《泉》は、黒い展示台の上に
どっかりと鎮座しています。しげしげと観ると、一昔前の武骨な白い男性便器が、管を
外されて仰向けに置かれ、丸裸で投げ出されているようにも見えます。

つまり便器としての機能は全く奪い取られて、おまけに美術品の役割を担わされている
のは、この便器にとっては至極迷惑のようにも感じられます。

この寄る辺なさ、きまり悪さが、美術という高尚なものへのアンチテーゼであるばかりで
なく、他方この便器が生来有する機能を追求したデザイン性を、その一点において優美な
ものとして評価するなら、十分に鑑賞に耐える作品という見方も出来るのではないでしょう
か?

改めて実物を観て、二律背反的なものとしての謎は、ますます深まりました。

2017年12月10日日曜日

美術館「えき」KYOTO 「これぞ暁斎!世界が認めたその画力」を観て

幕末から明治にかけて活躍した絵師、河鍋暁斎の本格的な展覧会です。

暁斎の作品は幾度か美術雑誌で見たことがありますが、何か戯画、きわ物を描く画家
というイメージを持って来ました。本展では、作品を網羅的に紹介するということで、
その画業の全容を知ることが出来たらと考えて、会場に足を運びました。

まず本展出品作は全てイギリス在住のイスラエル・ゴールドマン氏のコレクションで、
その充実した内容から江戸期の浮世絵など日本絵画が、明治以降国内よりまず
海外で評価されたという事実の流れを汲み、暁斎の作品も真っ先に外国人を魅了した
ことが、見て取れます。

これは江戸から明治に移る社会の動乱や、西洋的な価値観の一気の流入による
人々の美意識の混乱に与るところが大きいと思われますが、海外で見出され国内で
再評価されるという図式は、国際交流が活発になった時代の新たな美的価値観の
創出として、大変面白く感じられました。

本展を一通り観てまず暁斎の画業の多様さ、次から次へと作品を生み出す
バイタリティーに驚かされます。肉筆画、版画、絵日記というに止まらず、日本絵画
から水墨画、大判錦絵から版本まで、画題も神仏、妖怪、人物、動物、歴史物、春画と
多岐に渡り、その表現方法も正統な絵画から洒脱な水墨表現、戯画的なものまで、
全てが暁斎の絵画であり、特異な魅力を放っているのです。

その魅力の秘密を私なりに読み解いてみると、まず種々の技法による表現を可能に
する技量の確かさが挙げられます。暁斎は7歳で浮世絵師の歌川国芳に入門した後
狩野派の絵師にも学び、弱冠19歳で修業を終えたといいます。早熟の天才であり、
人並み以上の研鑽も積んだのでしょう。

また生きた時代の激動に決して流されることはありませんが、その変化に対して敏感
であったことも見逃せないと思います。なぜならその変化の速度を超越するエネルギー
で、絵画制作に没頭したと推察されるからです。

さらには、暁斎の滑稽な作品には前面に出て来るユーモアと諧謔が、その魅力として
挙げられます。そういう種類の作品は一見して楽しいですが、しかし正統な作品に
おいても、そのような要素は隠し味になっていると感じられるのです。

今回観た作品の中で私は個人的には、124「幽霊図」と「百鬼夜行図屏風」が印象に
残りました。                          7月15日記

2017年12月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」950を読んで

2017年12月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」950では
ボートレース場の観客の次のことばが取り上げられています。

 スタートする位置がまちまちなのがいいとこ

残念なだら、ボートレースを見に行ったことはないけれど、このレースでは、
スタート位置が選手によってまちまちというところがいいですね!

というのは、一般的に色々なレースのスタート位置は、選手の公平な条件を期して
一直線状であったり、短距離走などでは、各選手の走る距離がまったく同じになる
ようにスタート位置をずらすという形で、厳密に設定されているからです。

ところがボートレースでは、おそらくボートが高出力のエンジンで駆動されることや、
水上を周回して競うレースの走行距離が長いこともあって、スタート位置の厳密性
が余り重要ではないのでしょう。それよりも、選手が如何に自分の得意な形で
スタートを切るかということが、最優先されるのだと想像します。

でもそれだからこそ、各選手が思い思いに知恵を絞って、自分と艇が力を発揮
できる最善の位置からスタートし、技術を尽くして最初にゴールすることを目指す
というレース形体には、ロマンがあるように感じます。

公平さの意味が横並びではなく、本人の技量にゆだねられていること。しかも、
一旦スタートを切ってしまえば、個人の操縦技術を駆使して存分に力を発揮出来る
条件が準備されていること。

スポーツはよく人生に例えられるけれど、この競技などは、さしずめ味のある人生
と言えるでしょうか?一度実際にボートレースを観戦したくなりました。

2017年12月6日水曜日

龍池町つくり委員会 47

12月5日に、第68回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、最近学区内で問題になっている、宿泊施設の建設を巡る町内会とのトラブル
の状況について、中谷委員長より報告がありました。

蛸薬師町で、町内に旧来から所在している会社を家主とする、民泊の建設計画が
持ち上がり、町内への事前の説明が不十分な上に、家主は事業者に任せて
関与を回避しようとしているということで、町内会、事業者、家主の間で三者協定書
を作成することになった、ということです。

柿本町のホテル建設の問題では、当初の計画のホテルは、町内会への説明が
不十分なままほぼ完成しましたが、同一の事業者で新たに同町内にホテルの別館
を建設する計画が持ち上がり、また町内住民への十分な説明もなく建設が進め
られそうな状況になり、町内会から事業者に対して、説明会を開くように要望書を
出すことになりました。

京都外国語大学のプログラムについては、学生の小川さんより、企画作成の下準備
段階として、メンバーで薬祭り、二条通や二条城の歴史を調べ、基本的な知識を
蓄積しているところであるという、報告がありました。

恒例の平成30年度の「新春きものde茶話会」の概要については、担当の張田委員
より説明があり、日時は1月28日(日)午前10時~12時、場所はマンガミュージアム・
龍池自治連会議室及び和室と決定しました。

<お楽しみ>企画は、例年通りの催しを実施し、その内京のお正月談義では、「洛中
の年中行事と通過儀礼」というテーマで、中谷委員長がお話をすることになりました。

これは、お千度や地蔵盆、物故者追悼式など、この地域の町内や古くから続く企業
に残る宗教的な行事を通して、最近希薄になった神仏や先祖を敬う心の大切さに
ついて、再考してみようというもので、委員長は当日までに話の内容を練るということ
です。

次回「町つくり委員会委員会」は、来年1月16日(火)に開催することになりました。

2017年12月4日月曜日

ヴォイスギャラリー 現代美術二等兵活動25周年「駄美術の山」を観て

京都芸大彫刻専攻卒業の二人組現代美術ユニット、現代美術二等兵の展覧会を
観に行きました。

今まで、このユニットの存在を知らなかったのですが、新聞のギャラリー情報を見て、
ユニット名のネーミングの面白さに興味を覚え、行ってみることにしました。

このギャラリーに行くのも初めてで、街中の狭い通りに面した民家が立て込んだ中に、
こじんまりと佇む古い家です。訪れたのが夕暮れ時だったので、引き戸にはめ込まれ
た硝子越しに、照明に煌々と浮かび上がる内部は窺えましたが、ちょっとドキドキし
ながら足を踏み入れました。

中に入ると、小さな棚があちこちに設えられて作品が置かれ、床に並べられたもの、
吊り下げられたもの、ボードに並べられたもの等々、ギャラリー内部が所狭しと作品
で埋まっています。

何か昔の当てもの屋を覗くような懐かしい気分になり、小さな作品が多いこともあって、
思わず身を乗り出して一つ一つの作品を観て回りました。

途中で気づきましたが、一部非売品はあっても、ほとんどの作品の販売価格を記載
したリストがあり、気に入った美術作品を気軽に手に入れて、自分のものとして
楽しめるようです。

さて肝心の作品ですが、暖簾状のものや、小さな置物、ぬいぐるみ、クッション、
写真、オブジェ等々、余り高尚ではではない一見安っぽいもの。しかしじっくりと
観ると、既存の芸術作品のパロディーであったり、クスッと笑えるユーモラスなもので
あったり、可愛かったり、恐ろしかったり、少し哲学的であったり、観る者の感覚に
訴えかける、ちょっとした何かをひそめた作品が散見されました。

現代の私たちにとって、美術とはどのような役割を果たすのか?またどのような
付き合い方が出来るのか?そんなことを考えさせてくれる展示会でした。

2017年12月3日日曜日

鷲田清一「折々のことば」948を読んで

2017年11月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」948では
先鋭的な映画を撮る映画監督園子温の『けもの道を笑って歩け』から、次のことばが
取り上げられています。

 「自分」と仲良くするためには、まず自分がカッコ悪い、情けないと思っていることは、
 人目のあるなしに関わらず絶対にしないこと。

すごくカッコいい言葉ですね。ちょっと憧れてしまいます。

まず第一は、どういうことをしたらカッコ悪いか、どんな行為が情けないか、に気づく
ことから、始めなければならないでしょう。

というのは、自分の人生を振り返ってみて、あの時にやったことはカッコ悪かったと
気づくのは、随分後になってからということが、ままあったと思うからです。もっとも、
勢いに任せてやってしまった直後に後悔したことも、そういえばありましたっけ!

とにかく、失敗を重ねたり、他人の行為から学んだり、色々なところから知識を得たり
して、何がカッコ悪く、情けないかを体得すべきでしょう。

次には、そのようなカッコ悪いことは、例え人に見られていないところでもしないという、
信念を持たなければならない、ということですが、これはまた、なかなか並大抵のこと
ではないでしょう。

人間は意志が弱いもので、自分に都合が悪いことは、往々にこれぐらいはいいか、
あるいは欲望に流されて、少しは許されるだろうなどと、自らの行為を正当化する
からです。

つまりこの言葉の意味は、自身の人生に責任と矜持を持て、ということなのでしょう。