2026年5月7日木曜日

有本利夫著「もうひとつの空ー日記と素描-」を読んで

有本は個性溢れる画風を確立した洋画家で、私の好きな画家の一人です。しかし将来を嘱望されながら、 わずか38歳で夭折し、その画業は現在では既に、伝説と化しつつあります。 その作風はイタリアのフレスコ画の影響が顕著で、古色をまとい、時が止まったようでありながら、画面 の奥から音楽が流れてくるように軽やか、懐かしさとユーモア、そして詩情を感じさせるものです。 若くして亡くなったために、私の抱くイメージとしては、作風とも相まって、無垢で神に好まれる存在と いう認識がありました。 本書は副題にもあるように、日記の抜粋と素描、発表した文章の断片をまとめたものです。レイアウトも 素晴らしく、詩画集の趣があります。 本書を読み終えてまず感じたのは、有本が次々と浮かぶイメージを、作品に描き込んでゆくひらめきの 画家ではなく、日々のたゆまぬ研鑽と葛藤の中から、絞り出すようにして作品を生み出す、努力の人で あるということです。日記の中で彼は自らの怠惰を常々戒め、叱咤しながら画面に向き合っています。 他方彼には、先人の画家たちから学び、導き出した確固とした美意識があり、制作においては一切の妥協 を廃して、高みを目指していました。 もう一つ彼の作風と切り離せないのは、作品に宿る宗教性です。これは彼の絵画が、ピエロ・デラ・フラ ンチェスカの影響を受けていることから、キリスト教的とも思われがちですが、単に特定の宗教を越えて、 もっと普遍的な宗教性に根ざすものであうると、推測されます。 この点は本書の中に、「普遍性ないし通俗性」という表題で掲載されている文章が、分かりやすく彼が 自らの絵に込めようとした精神を解説していると、思われます。つまり、最近(1960年代から70年代、しか し現代にも十分に通じます。)の美術は、承認欲求あるいは難解さに傾倒して閉鎖的になって、風俗や流行 への安易な対応が目立つ。このような状況下において、古典美術を改めて眺めてみると、時代も、風俗も、 宗派を超えた普遍性、個人的ではなく、「人類は」「人類なら」といった、広い意味での通俗性が感じられ て、何とも言えない心地よさ、安心感を与えられる。自分はそのような絵画表現を目指したい、という主旨 です。 彼の絵画制作の秘密の一端を明らかにしてくれる、好著です。