2016年10月30日日曜日

ぼくわたしの防災マップづくりinたついけ開催

10月30日に恒例のスタンプラリー企画として、龍池町つくり委員会主催、
京都外国語大学南ゼミ協力の「ぼくわたしの防災マップづくりinたついけ」が
開催されました。

当日は、集合場所の京都国際マンガミュージアム会議室に、近年の災害現場を
写した写真のパネル展示を行い、同時に市民防災センターより借り受けた
DVDを流して、参加者に災害への認識を新たにしてもらうと共に、子どもの
参加者には、南ゼミの小林さんより、身近に起こる可能性がある災害の分かり
やすい説明が実施されました。また、町つくり委員会の活動を紹介するパネル
展示も行いました。

その後参加者は二班に分かれて、実際に学区内に設置された消火器や防火
バケツ、マンションの火災消火用の送水栓、AEDなどの防災設備、また災害が
起こった時危険性がある場所等を見て回り、予め準備した用紙に記入して、
マンガミュージアムの会場に戻りました。

ミュージアム会議室では、子供たちが学生さんと一緒に、調べて来た事項を
模造紙に描き込んで、防災マップを作り、発表しました。参加した子供たちは
生き生きとして、楽しそうにマップを制作していました。

最後に、学生さんに予め作ってもらった、災害救助用のアルファ化米の五目
御飯とお菓子の詰め合わせを手見上げに、解散しました。

残念ながら参加者が思いのほか少なく、テーマの設定の仕方や訴求方法など、
今後に向けて多くの課題が残りました。

2016年10月28日金曜日

宮下奈都著「羊と鋼の森」を読んで

ピアノの音に魅せられ、調律師を目指す青年の成長物語です。2016年本屋大賞
受賞作です。

全編を通して詩的で穏やかな空気が流れ、読む者はまるで白日夢の中を彷徨う
ような気分を味わうことが出来る小説です。

今回気づきましたが、音楽の魅力を純粋に伝えようとする言語表現は、往々に
詩的で静謐な雰囲気を湛えるものになるように感じます。音楽は心臓の鼓動音
にも通じる、人間にとって根源的な芸術の表現手段であると、言われます。

しかしその作品は、目に見える形で現出されるものではないだけに、文章という
他のジャンルの表現手法を用いてその魅力を表そうとする時、どうしても
デリケートに取り扱うことが必要になるのでしょう。あるいは逆に、このような
デリケートさの中にこそ音楽の魅力があることを、本書のような優れた小説は知ら
しめてくれるのかもしれません。

さて本作は、音楽とピアノという楽器の奥深さを伝えるだけではなく、調律師を志す
外村青年の内面の成長の物語でもあります。

北海道の山間で育った感性が豊かで繊細な彼は、自らが通う高校にピアノの調律
に来た板鳥が作り出した音に、自身がこよなく愛する森の匂いと共通するものを
感じ、調律の道に進むことを決意します。本州の専門学校を卒業後北海道に
戻った彼は、板鳥の勤務する楽器店に就職し、調律師として独り立ちすることを
目指すことになりますが・・・。

彼の同僚の三人の先輩調律師の内、板鳥はプロの高名なピアニストに指名されて
コンサートホールのピアノの調律も手掛ける、言わば彼の目指す理想の音を紡ぎ
出す調律師、他方彼が見習いとして付く柳ともう一人の秋野は、それぞれのやり方
で、いかに個々の一般客に満足を与えるかを求めて日常業務をこなしています。

調律という仕事が、単にピアノからその楽器が出しうる最高の音を引き出すだけ
ではなく、ピアノと弾き手の仲立ちとして、両者の最良の関係を作り出すための
ものであることが分かります。

外村は見習いとして、柳の顧客のピアノ好きの和音、由仁という双子の高校生と
出会い、曲折を経て和音がピアニストを目指す決意を固めた時、彼女のピアノを
彼女の音楽の魅力を最高に引き出すように自分で調律したいと思います。

仕事に対して人並み以上に誠実で真摯であるために、自分の調律に自信が持て
なかった彼が、心から彼女のために自らの持てる技術を尽くすと決めた瞬間、彼
自身が調律師として成長したことが感じられて、好感を持ちました。

2016年10月26日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、人が人をからかうことの論理

2016年10月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載128には
吾輩が、落雲館の学生が苦沙弥先生をからかうのを見て、人間のからかいの論理を
解説する、次の記述があります。

「人間は自己を恃むものである。否恃みがたい場合でも恃みたいものである。それ
だから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だという事を、人に対して実地に
応用して見ないと気が済まない。」

鋭い人間観察です。確かにこの頃はもうそんな気持ちは起こりませんが、振り返って
みると、私もまだ青二才の時には、相手をからかってみたい誘惑に駆られることは、
確かにありました。

その時の心理を思い起こすと、相手が自分より何かの部分で劣ると感じ、その人に
対して優位な立場を築く、または保とうと考えた時、あるいは何人かの人が集う場で
自分が注目を集めようと思った場合、などが思い浮かびます。

いずれにせよ今から考えると冷や汗ものですが、度を越さない範囲でからかい、
からかわれながら陽気にワイワイやるのも、多くの若者の習性であるようにも思い
ます。

さてこの場合、頑固で融通の利かない苦沙弥先生が、いたずら盛りの腕白坊主たちに
からかわれるの図は、先生にとっては耐えがたく腹立たしいことであっても、吾輩や
我々読者などが傍から見ていると、思わずニヤッとさせられます。

漱石自身に苦沙弥先生に通じる気質があったようなので、この場面では彼は、自分で
自分を笑っているとも言えるのではないでしょうか?

2016年10月24日月曜日

鷲田清一「折々のことば」555を読んで

2016年10月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」555には
「長い道」に収録された対談から、料理家辰巳芳子の次のことばが取り上げ
られています。

 母は「お金がない」って言わなかったんです。いろんな内職をしたんだけれど、
 苦しいから内職をするというふうには言わなかった。

人と人のコミュニケーションにおいて、意志を明確にしてはっきりと伝えなければ
ならないこともあるけれど、あまりに身も蓋もないという風に、あからさまには
伝えない方がいいこともある。

辰巳氏の御母堂は、このようなシチュエーションにおいて、「お金がない」と
自分の子供に言わない方がいいと、判断されていたのでしょう。

成長して母の思いを知った時、その子は母の芯の強さ、子どもに対する深い
愛情を改めて知ったことでしょう。

他方、最近とみに盛んになった電子メール、SNSといった通信、交流手段は、
感情を排したはっきりとした意思表示、意見の伝達には適するけれど、微妙な
ニュアンスや、言葉の裏に隠された思いを伝えるには適さないと思われます。

また今日の社会環境、そしてこのような通信、交流方法が日常化していることも
影響していると感じられますが、人と人のコミュニケーションにおいて、言わず
もがなに伝えるという文化が失われて来ているように感じます。

もしこのようなコミュニケーションをもう一度復活することが出来たなら、人と人の
関係がもっと豊かになると思うのですが・・・

2016年10月21日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、銭湯で裸体を見ての吾輩の結論

2016年10月18日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載123では
銭湯での人間の生態を観察していた猫の吾輩が、突然ぬうっと姿を現した
髭ずらの巨漢の男を眼前にして、圧倒されながら家に帰る途中考えた結論を
述べる、次の記述があります。

「羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等になろうと力める赤裸々の中には、
また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかに
なったって得られるものではない。」

銭湯内の裸の男たちの一挙手一投足を、西洋的な価値観から冷ややかに批評
していた吾輩も、突然現れた髭もじゃの大男には肝をつぶされたようです。

しかし裸の付き合いというか、銭湯内で勝手気ままに振舞う男たちも、この巨漢
には一目置いてしまう。野性に帰っても、いやそれだからこそ、体格の
でかい者が他を圧倒する。所詮こんなちっぽけな空間においても、皆が同等の
権利を有するなどということはあり得ない、ということでしょうか?

ここで漱石は、普段は文明人としていっかど澄ましかえり、体面を取り繕う我々
日本人も、一旦衣を脱げばただの猿、平等なんて崇高な理念は絵空事に
過ぎないと、自分自身も含めて茶化して、笑い飛ばしているように感じました。

2016年10月19日水曜日

「テゾメヤ蓄音機night」第1回に参加して

10月16日に、京都の天然色工房手染メ屋店主、青木さん主催のクレデンザ
蓄音機でSPレコードを聴く集いに行って来ました。

クレデンザは90年余り前にビクター社によって製造された、知る人ぞ知る伝説の
蓄音機で、この方面の知識に乏しい私は、蓄音機と聞くとターンテーブルの上に
ラッパの様なホーンが取り付けられた単純な機器を想像してしまいましたが、
実際に目の前にするこの蓄音機は小さな家具ぐらいの大きさがあり、上部の蓋を
開けてターンテーブルにレコードを乗せる本格的な造りで、まず驚かされました。

青木さんの所有品ですが、普段京都市役所前付近の月読(つくよみ)というバーに
預けられていて、当日もそのバーでこの催しが開かれました。

蓄音機の操作方法については、一回レコードを掛ける度に一々ぜんまいを巻き、
そのレコードに相応しい針の太さを吟味しながら、前に使用したレコード針を捨てて
新しい針に交換することなど、あるいは青木さんがわざわざ分解して構造を説明して
下さった時には、その手工業品らしい精巧な造りに、すっかり感心させられました。

さて当夜は、この蓄音機でフラメンコのSPレコードを聴こうということで、青木さんの
スペイン在住のお父さまに来ていただいて、レコードを聴きながら解説をして頂き
ました。

お父さまによると、フラメンコというと日本ではまずその情熱的なダンスを思い
浮かべますが、実は本来は唄が中心で、唄をベースにして、踊り、ギター演奏が
成り立っているということで、遠いこの国でフラメンコが支持されている理由として、
まずおもむろに安木節のレコードが掛けられました。

すると、恐らく歌唱法は違うのでしょうが、安木節と以降に流れるフラメンコの唄
には長く培われた伝統的な民族の情念を体現するという意味で、驚くほどの
共通点がありました。この導入からすっかりフラメンコに引き込まれて、満ち足りた
時間を過ごすことが出来ました。

その至福の音楽体験を助けてくれたのは、他でもないクレデンザという蓄音機で、
電気を介さず肉声が直接に発する空気の震えが直に伝わって来て、目を閉じると
まるで目の前で伝説のフラメンコ歌手が歌っているような、錯覚を覚えました。

青木さんのお蔭で、すっかりフラメンコファンになってしまいました。

2016年10月17日月曜日

京都高島屋グランドホール「第63回日本伝統工芸展京都展」を観て

恒例の伝統工芸展京都展を今年も観て来ました。何時ものように私が興味を
持つ染織部門について、感想を記したいと思います。

一口に染織と言っても、大きく分けて織物と染の作品、またそれぞれの中にも
技法の違いによって多様な表現方法があります。

織物は経糸と緯糸を織り上げるという技法上の制約が大きく、表現の自由度が
限られますが、その点使用する糸の色だしに工夫を凝らしたり、色と色の
組み合わせ、柄の織り出し方に作者が苦心を重ねている様子が、作品に見受け
られます。

他方染の作品は、基本的に白地の生地に柄を染め上げるので、手描き友禅、
型染、絞り染の別で自由度の違いはありますが、織物に比べて表現の幅は
かなり広がります。作者は与えられた自由さの中で、個性を発揮することも求め
られます。

そのような前提で今展を観て行くと、織物の作品には海老瀬順子の文部科学
大臣賞受賞作、穀織着物「海に聞く」に代表されるように、技法上の制約の中で
工夫を重ね、感性を磨いて、現代性をも有する完成されたものが多く見受け
られるように感じました。

ところが染色の作品では、特に友禅で柄や色に同じような手法を使った、
似通った表現のものが目立つように感じました。勿論時代の好みというものは
確かに有り、作品がそれを求める人々の要望に添う必要がある以上、傾向が
似通ることはある程度は已むおえないかも知れません。しかし友禅は表現の
自由度が高いだけに、もっと多様な個性が出てもいいと感じました。

伝統を守りながら、同時に現代性、独創性を追求することの難しさを、まざまざと
見る思いもしました。

2016年10月14日金曜日

鷲田清一「折々のことば」545を読んで

2016年10月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」では
山崎ナオコーラの小説「この世は二人組ではできあがらない」から、次のことばが
取り上げられています。

 誰も、誰かから必要とされていない。必要性がないのに、その人がそこにいる
 だけで嬉しくなってしまうのが、愛なのではないか。

その小説の中で、作者が語ろうとした意味とは違うかもしれないけれど、この
ことばから私が感じたことを記してみたいと思います。

愛とは何だろう?ここでは人と人との一対一の愛情に絞ってみると、相手に必要と
されていないなんて、辛いことです。でもその人がそこにいるだけで嬉しくなると
いうのは、随分満ち足りて、幸せなことです。

思うに私は、愛の始まりの感情がこのようなものであれば、理想的だと感じます。
何故なら、最初の出会いの時は相手の必要性など分からないから。

生物学的に考察すれば、一対一で異性を求めるというのは遺伝子を残すための
功利的な欲望です。それも無論愛ではありますが、直情的で刹那的な愛であると
感じさせます。

それに対して、お互いがそこにいるだけで幸福を感じたり、嬉しくなるのは、もっと
高尚な感情であると思うのです。

少しでもそういう気持ちを感じる機会や時間が多くあれば、私たちの心はもっと
満たされて来るのではないか?このことばから、そんなことを夢想しました。

2016年10月12日水曜日

水木しげる著「のんのんばあとオレ」ちくま文庫を読んで

先般亡くなった妖怪マンガの第一人者、水木しげるの幼年から少年時代の回想記
です。

実は、私は水木の「墓場の鬼太郎」が週刊少年マガジンに連載された第一回の、
体が溶ける病で死んだ鬼太郎の父親の、全身包帯に覆われ、朽ちかけたむくろの
顔の部分から、息子の行く末を案じて眼球が滴り落ちて、目玉おやじになる場面の
不吉さ、異様さを鮮明に記憶しています。

当時、サンデー、マガジンなど少年マンガ雑誌を幾つも愛読していたので、数々の
連載マンガを目にしましたが、鬼太郎の印象は一種独特で、鮮烈でした。

武良少年(後の水木しげる)は宍道湖、中海にほど近い鳥取県境港で生を受け、
水路を隔てた向かいは神の国として古くからの伝承や、民話も多い島根県で、
自然への恐れや、信仰が多く残る環境で育ったといいます。

彼の幼少期には、「のんのんばあ」という神仏に仕えるおばあさんが世話係として
付き添い、彼に様々の妖怪の話を聞かせたそうです。

この体験が彼の異世界や、妖怪への興味の原点となり、長じて妖怪マンガを描く
ことにつながって行きますが、幼時に培った感性をすくすくと伸ばして行った
ところに、彼の飛び切りの純粋さ、率直さを感じます。

他方、いかにも男の子らしい力への信仰と、枠にはめられることを嫌う性格は、
彼をガキ大将へと押し上げますが、子分を従えることの苦労も身に染みます。

この親分肌の正義感、優しさも、彼のマンガの悪を懲らしめる場面などに、反映
されているようにも感じられました。

また彼は少年期より、自家製の絵本や、物語作りに励んだのみならず、貝や昆虫、
動物の骨、さらには各種様々の新聞の題字部分の蒐集など、気に入ったものを
集めるのに、並外れた集中力と情熱を傾けたといいます。

この蒐集癖も、彼が様々の妖怪を描き続けて行くための前提をなす、
妖怪コレクションの基盤となっているように思われました。

全編を通して少々のはったりも含めて、いかにも子供らしく率直で生き生きとした
自身の生活が語られています。

今日では失われてしまった、彼の貴重な幼少時体験や生活環境にノスタルジーを
感じつつ、いつの時代にも困難や苦しみを伴う実人生において、自らの意志を
貫徹した彼の心意気の原点を、見る思いがしました。

2016年10月10日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の服飾考

2016年10月6日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載117では
銭湯に闖入した吾輩が、西洋的な裸体論、服飾論を展開する、次の記述が
あります。

「人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間と
して着物をつけないのは象の鼻なきが如く、学校の生徒なきが如く、兵隊の勇気
なきが如く全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間と
しては通用しない。獣類である。・・・」

さて、初めて日本人の通う銭湯というものを見た吾輩は、その珍奇さに驚愕
します。しかしそこで彼が考え、思い巡らすのが、西洋的な価値観に則った
服装論であるところが、滑稽です。この猫の主人が苦沙弥先生だけあって、
流石にハイカラです。

文明化が進んだ西洋の価値観においては、紳士淑女は洋服を着て裸体を包み
隠すという厳然としたルールが出来上がったのでしょう。勿論ヨーロッパでも
次第に文明の中心となって行く北方では、防寒のために服を着るということが
生きて行く上での必要条件でもあったでしょう。

他方彼の地では、芸術においては裸体の描写、造形も、美しさを表現するもの
として、許容され、更には尊重されて来ました。

漱石は、その価値観が文明開化と共に我が国にどっと一時に入って来て、
人びとがともすれば慣れ親しんで来た習慣やものの考え方を棚に上げて、
闇雲にそれになびくことを、猫の言葉を通して茶化しているのではないで
しょうか?

2016年10月7日金曜日

京都高島屋グランドホール「特別展 星野道夫の旅」を観て

写真家星野道夫が取材中に熊に襲われ、不慮の死を遂げてから20年が経過
したことをきっかけとして、企画された特別展を観て来ました。

星野は写真のみならず文章も素晴らしく印象的で、私もエッセーを数冊読み
ましたが、本展でも写真に本人の文章を合わせて展示して、観る者が彼の
世界に包まれる手助けをしてくれています。

久々に観る彼の写真は美しいことは言うまでもなく、今回は特に彼の死という
現実も超えて、もっと根源的な意味での懐かしさを強く感じました。

それは何故かと考えてみると、星野自身が彼が被写体とした極北の自然に
同化し、その一部となった上で、かの大地で悠久の時を経て営まれている
現象を写真に写し取っているからであろうと、思い至りました。

本展にもその手紙が冒頭に展示されていますが、彼がアラスカを知る契機と
して、学生時代にこの地の一地域を写した写真集に魅了され、そこで生活
したいと村長に手紙をしたため、許されて滞在したことが、彼の以降の
写真家としての人生を決定したといいます。

つまり星野は、アラスカの地と運命的な出会いをした訳ですが、本展で彼の
写真を改めて観て、彼がこの地に魅了されたのは、そこには厳しい気象条件
故に原風景としての自然が色濃く残されているからに違いないと、感じさせ
られたのです。

そのように考えて行くと、彼の写真のテーマが自然現象や動物の姿の詩的
ではあってもリアルな描写から始まって、次第にアラスカに暮らす人々や
そこに生まれた神話に題材を得る、よりヒューマンなものやスピリチュアルな
ものに深まり、広がっていったことも、当然の帰結であると感じました。

彼の写真は、アラスカの広大な自然を背景としながら、人間の本来あるべき
心の在り方をも、提示してくれているのではないでしょうか?

2016年10月5日水曜日

龍池町つくり委員会 33

10月4日に、第51回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、10月30日(日)に開催予定の「たついけスタンプラリー」について、担当の
京都外国語大学の学生小林美香さんから、より具体的な内容の説明がなされ、
それを巡って話し合いました。

今年のスタンプラリーは、「ぼく わたしの 防災マップづくり」と命名され、学区内を
親子で巡って地域防災マップを作成することにより、龍池学区に関する防災情報を
共有し、重ねてこの催しを地域交流の場にするというもので、新たに次のことが
提案されました。

当日参加者が集合後、消防署より提供を受ける、子供向けの防災について分かり
やすく説明するDVDの画像を流して、参加者に防災についての理解を深めて
もらう。

同じく会場に、地震、火事、台風の被害を写真で展示する、ミニ展示コーナーを
設け、身の回りの被害、危険への意識を高めてもらう。

その上で、皆で災害とは何かについて一緒に話し合い、いよいよマップ作りに
出かけます。

防災マップづくりでは、町歩きの範囲を今回は学区内の御池通りより北に絞り、
参加者を3~5人の班に分け、消火栓、AEDの設置場所、子ども110番の家なども
確認してもらい、危険性のありそうな場所も探します。

この催しの広報活動としては、学区内各町へのチラシ回覧とポスター掲示、また、
開催が迫っている区民運動会でチラシを配布することに、決定しました。

スタンプラリー当日が、参加者でにぎわうことを期待しています。

2016年10月2日日曜日

鷲田清一「折々のことば」533を読んで

2016年9月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」533では
作家堀江敏幸の小説「河岸忘日抄」から、次のことばが取り上げられています。

 ほんとうの寛容さはつねに戦闘状態にあるはずで、寛容にする側もされる
 側も、どちらもぞんぶんに傷つく。

私たちは他の人の話に、往々に「それわかる」とか「わかった」とか、肯定的な
相づちを入れたり、返事を返したりしがちです。

でもそれは相手に対して話の腰を折らないためや、とりあえず分かったつもり
になるような、皮相で受け流す返答の場合が多いように感じます。

でもそれが真剣な話であったり、物事であったなら、私たちは安易に「わかる」と
言うべきではないし、ましてや「わかった」こととしてやり過ごせるものではないと、
このことばは伝えてくれているように感じます。

「わかる」ということは、相手の立場に立って受け入れること、相手を全身全霊で
肯定することでなければならないのでしょう。

そう考えると私たちは常日頃、いろいろなことを生半可に理解したつもりでいる
ことが、随分多いように思います。

分かりやすい例を挙げてみると、たとえばメディアの感情に訴えかけて来る
演出に対して、私たちはすぐ理解したつもりになって、押し流され易いように
感じます。

最近言われる、障がい者の”感動ポルノ”なんて身も蓋もない言葉も、そのことに
深く関係しているように感じました。