2016年10月26日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、人が人をからかうことの論理

2016年10月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載128には
吾輩が、落雲館の学生が苦沙弥先生をからかうのを見て、人間のからかいの論理を
解説する、次の記述があります。

「人間は自己を恃むものである。否恃みがたい場合でも恃みたいものである。それ
だから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だという事を、人に対して実地に
応用して見ないと気が済まない。」

鋭い人間観察です。確かにこの頃はもうそんな気持ちは起こりませんが、振り返って
みると、私もまだ青二才の時には、相手をからかってみたい誘惑に駆られることは、
確かにありました。

その時の心理を思い起こすと、相手が自分より何かの部分で劣ると感じ、その人に
対して優位な立場を築く、または保とうと考えた時、あるいは何人かの人が集う場で
自分が注目を集めようと思った場合、などが思い浮かびます。

いずれにせよ今から考えると冷や汗ものですが、度を越さない範囲でからかい、
からかわれながら陽気にワイワイやるのも、多くの若者の習性であるようにも思い
ます。

さてこの場合、頑固で融通の利かない苦沙弥先生が、いたずら盛りの腕白坊主たちに
からかわれるの図は、先生にとっては耐えがたく腹立たしいことであっても、吾輩や
我々読者などが傍から見ていると、思わずニヤッとさせられます。

漱石自身に苦沙弥先生に通じる気質があったようなので、この場面では彼は、自分で
自分を笑っているとも言えるのではないでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿