先般亡くなった妖怪マンガの第一人者、水木しげるの幼年から少年時代の回想記
です。
実は、私は水木の「墓場の鬼太郎」が週刊少年マガジンに連載された第一回の、
体が溶ける病で死んだ鬼太郎の父親の、全身包帯に覆われ、朽ちかけたむくろの
顔の部分から、息子の行く末を案じて眼球が滴り落ちて、目玉おやじになる場面の
不吉さ、異様さを鮮明に記憶しています。
当時、サンデー、マガジンなど少年マンガ雑誌を幾つも愛読していたので、数々の
連載マンガを目にしましたが、鬼太郎の印象は一種独特で、鮮烈でした。
武良少年(後の水木しげる)は宍道湖、中海にほど近い鳥取県境港で生を受け、
水路を隔てた向かいは神の国として古くからの伝承や、民話も多い島根県で、
自然への恐れや、信仰が多く残る環境で育ったといいます。
彼の幼少期には、「のんのんばあ」という神仏に仕えるおばあさんが世話係として
付き添い、彼に様々の妖怪の話を聞かせたそうです。
この体験が彼の異世界や、妖怪への興味の原点となり、長じて妖怪マンガを描く
ことにつながって行きますが、幼時に培った感性をすくすくと伸ばして行った
ところに、彼の飛び切りの純粋さ、率直さを感じます。
他方、いかにも男の子らしい力への信仰と、枠にはめられることを嫌う性格は、
彼をガキ大将へと押し上げますが、子分を従えることの苦労も身に染みます。
この親分肌の正義感、優しさも、彼のマンガの悪を懲らしめる場面などに、反映
されているようにも感じられました。
また彼は少年期より、自家製の絵本や、物語作りに励んだのみならず、貝や昆虫、
動物の骨、さらには各種様々の新聞の題字部分の蒐集など、気に入ったものを
集めるのに、並外れた集中力と情熱を傾けたといいます。
この蒐集癖も、彼が様々の妖怪を描き続けて行くための前提をなす、
妖怪コレクションの基盤となっているように思われました。
全編を通して少々のはったりも含めて、いかにも子供らしく率直で生き生きとした
自身の生活が語られています。
今日では失われてしまった、彼の貴重な幼少時体験や生活環境にノスタルジーを
感じつつ、いつの時代にも困難や苦しみを伴う実人生において、自らの意志を
貫徹した彼の心意気の原点を、見る思いがしました。
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