2016年10月14日金曜日

鷲田清一「折々のことば」545を読んで

2016年10月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」では
山崎ナオコーラの小説「この世は二人組ではできあがらない」から、次のことばが
取り上げられています。

 誰も、誰かから必要とされていない。必要性がないのに、その人がそこにいる
 だけで嬉しくなってしまうのが、愛なのではないか。

その小説の中で、作者が語ろうとした意味とは違うかもしれないけれど、この
ことばから私が感じたことを記してみたいと思います。

愛とは何だろう?ここでは人と人との一対一の愛情に絞ってみると、相手に必要と
されていないなんて、辛いことです。でもその人がそこにいるだけで嬉しくなると
いうのは、随分満ち足りて、幸せなことです。

思うに私は、愛の始まりの感情がこのようなものであれば、理想的だと感じます。
何故なら、最初の出会いの時は相手の必要性など分からないから。

生物学的に考察すれば、一対一で異性を求めるというのは遺伝子を残すための
功利的な欲望です。それも無論愛ではありますが、直情的で刹那的な愛であると
感じさせます。

それに対して、お互いがそこにいるだけで幸福を感じたり、嬉しくなるのは、もっと
高尚な感情であると思うのです。

少しでもそういう気持ちを感じる機会や時間が多くあれば、私たちの心はもっと
満たされて来るのではないか?このことばから、そんなことを夢想しました。

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