2020年11月27日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1989を読んで

2020年11月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1989では 日本美術の研究者でもある、皇族・彬子女王の雑誌「和楽」での連載「イノリノカタチ」から、 次のことばが取り上げられています。    お盆のころに、小さな虫が近くに寄ってき    て、「あ、戻ってきたんだね」と、その虫に亡    くなった人を重ねる人もいらっしゃいます。 私も子供の頃には、お盆には虫取りなどの殺生をしてはいけないと大人に言われて、なるほど と納得しながら、自重したことを覚えています。 それはお盆に亡くなった人が帰って来るから、殺生をしてはいけなかったのか、あるいは、 お盆には全てのものの命を大切にしなければならないから、虫でさえ殺してはいけなかったの か、今ではその理由も定かではありませんが、ただそれが自明のことであるという共通認識が 一般に共有されていたように思います。 そういう共通した認識は、知らず知らずのうちに子供の心にも刷り込まれ、日ごろは表面には 現れなくとも、命や自然に対する漠然とした畏怖のようなものを、植え付けていたはずです。 現代では、そういう慣習も遠ざかって久しく、人の心にはもっと合理的で効率的な考え方が 行き渡っていると思われますが、目には見えないけれど、私たちを包み込んでいるものへの 配慮にも、また目を向けるべき時期に差し掛かっているように、私には感じられます。

2020年11月24日火曜日

バルガス=リョサ著「密林の語り部」を読んで

南米文学の魅力と特徴としてよく語られる、マジック・リアリズムの起源の一つには、この大陸に 今なおアマゾンという広大な未開のジャングルが、残されていることがあるのではないでしょうか? ペルーのノーベル文学賞受賞作家によって生み出されたこの物語は正に、私のそんな思いを強くして くれる作品です。 アマゾンは近年益々文明社会に浸食されて来ているとはいえ、現地の人々にとってその存在は絶大 で、その地域には原始時代以来の生活を営む民族がおり、心ある人は、その落差に向き合わざるを 得ません。 そのような環境にあって、語り手の友人、顔の右半分に大きな痣があり、赤毛で少数派のユダヤ人に 属する、民俗学を志す青年は、アマゾンの未開の人々の文化に魅了されて行きます。 最初はあくまで、文明人の立場からの純粋な学問的興味であったでしょうが、それは次第に、未開 民族に同化する願望へと変わって行きます。その特異な変容には、彼の容姿、置かれた立場が大きく 関わっていると思われますが、同時にアマゾンの未開の文明の豊かさ、それを切り崩して行く文明 社会の罪過が、強く影響していると思われます。 さて凡百の小説なら、文明社会側の視点から、このそれだけでも十分魅力的な物語が、語られるだけ に終わるのではないでしょうか?しかし、本書がより輝きを放つのは、アマゾン原住民社会に同化 したと思われる青年(その確たる証拠は、どこにも記されていません)が、その社会で人々がジャン グルの過酷な環境で生きて行くには欠かせない、語り部の役割を担っており、その語り部が実際に 部落を回って語っている神話や説話、体験談や仲間の消息、周囲の情報などが混然一体となった話 を、恐らく原型を損なわない魅了的な文体で、記載していることです。 物語の進行と入れ子式に、語り部の語りの章が挿入されることによって、原住民の文化とジャングル での生活の豊かさ、更には、原初的な人類の逞しさ、叡智が明らかになります。そして語り部という 役割が、文学というものの始原をなす存在であり、現代の社会においても、人間が生きて行く上で 欠くことの出来ない要素を含むものであることが、見えて来ます。 正に、重層的に織りなされた、人間存在の根本を問う小説です。

2020年11月20日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1984を読んで

2020年11月4日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1984では 哲学者・田中美知太郎の論文集『善と必然との間に』から、次のことばが取り上げられて います。    物指や計りで計ることは誰でもできるけれど    も、目分量や手加減でちょうどその量を当て    ることは、そう誰にでもできることではない。 これこそ、熟練の仕事!考えてみれば、合理化や効率化は、熟練しなくても誰でもが、 一定のレベルの仕事をこなせる方法を編み出すことのようにも、感じられます。 でも、私のような伝統的な仕事に従事する者にとっては、遠回りしても仕事の神髄を体に 覚え込ませて、その仕事に携わっていることが、体から自然ににじみ出てくるように しなければならないと、教え込まれて来ましたし、そう信じても来ました。 つまり、このような考え方自体が、もはや古臭いのかも知れませんし、時代に合っていない のかも知れません。 でも、体に覚え込ませるという直接的な行為は、現代では過去の遺物に近づいているかも 知れませんが、精神的な部分での、仕事へのかかわり方という意味では、今なお大切なこと のように、私には思われます。 テクノロジーはどれだけ進んでも、精神の核という部分では、人はその仕事が本質的に何で あるかを、体に浸み込ませなければならないのではないか?私には、そう思われるのです。

2020年11月17日火曜日

マルクス・ガブリエル著「新実存主義」を読んで

書名に惹かれて、手に取りました。しかし哲学に疎い私が、どれだけ内容を理解出来たか分かりません。 それで以下、本書を読んで私なりに感じたことを記してみたいと思います。 まず、著者が新実存主義の哲学を展開するに当たり、立脚した実存主義の考え方は、以下の2点です。 ①人間は、本質なき存在であるという主張②人間とは、自己理解に照らして自らの在り方を変えること で、自己を決定するものであるという思想。 つまり、私の理解したところによると、現代における自然科学の飛躍的な発展によって、宇宙の起源、 脳を含む人体の構造の解明が格段に進み、私たち人間の間では、将来的に自然界の全ての謎が明らかに なるという気分が、漂っているように感じられる。それに伴って科学の分野でも、人間の心は脳の 物理的機能と構造だけによって形成され、働きを規定されるという考え方が支配的になって来ている。 それが恐らく、哲学における自然科学と呼ばれるのだと思われます。 しかし現実には、宇宙にしても人間の脳にしても、我々がその謎の解明に至った部分は、その広大で 深遠な領域のほんの一部に過ぎず、人間の知力で全容を把握することは到底不可能であり、それと同様 人間の心も、単に脳の機能だけによって生起するものではなく、人類の歩んで来た社会的生活や出来事 の中で、相互の交流ややり取りによって獲得され、あるいは、自己の認識や内省を通しても形成される ものである。そしてその考え方に立つのが、新実存主義であるということです。 もしこの理解が正しければ、私が現実の生活の中で昨今感じるところでも、現在の風潮では、上記医学 も含む自然科学の目覚ましい発展や、情報化社会の進展によって、私たちのものの考え方においても、 身体的な感覚がますます薄れ、代わりに頭脳の働きのみに頼る、仮想的な思考が広がって来ているよう に感じられます。 翻って、今回の新型ウイルス感染症の蔓延と国際的な社会機能の停滞は、人間が生身の肉体を持つ存在 であることを、改めて気づかせました。 新実存主義の考え方は、新たな覚醒を強いるコロナ後の世界に、一石を投じるものであると、私には 感じられました。

2020年11月12日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1979を読んで

2020年10月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1979では 古代ギリシャ哲学研究者・神崎繁の随想集『人生のレシピ』から、次のことばが取り上げ られています。    真夜中、携帯で話しながら通り過ぎてゆく声    を見送りながら、彼もしくは彼女は孤独なの    か、孤独でないのか、判らなくなる。 正に、携帯電話の登場によって、私たちの日常生活は大きく変貌を遂げたと、感じます。 それまでは、人と人のコミュニケーションは、直接に面と向かって会話するには双方が 集うという必須条件があり、手紙もしくは葉書、電報にはタイムラグが存在し、電話での 会話にしても固定電話であったために場所が限定されるという風に、様々な制約があり ました。 しかし携帯電話のコミュニケーションでは、原則としてどこにいても瞬時につながり、 会話が可能という革命的な利便性が獲得されました。 つまり私たちは現在、いつでも携帯電話を通じて人とつながっているという状況にあると も、言えます。 でもそのような環境は、本当に私たちを孤独から解放した、あるいは逆に、孤独な状態に 自らを置くすべを著しく減少させた、と言えるのでしょうか? 実際に、携帯電話での通話やSNSを介したコミュニケーションは、他者との親密さや心を 通じ合わせる機能を果たす場合もありますが、得てして、安易で形式的、あるいは一方的 な意思の表明に終始する傾向があるように、私には感じられます。 そのような場合、携帯電話というツールがあることによって、本当に人は孤独から解放 されたと言えるのかどうか、大いに疑問に感じます。 このように考えると、先端技術の発達が人間の孤独を深めるということも、あながち 間違いではないように、思われて来ます。

2020年11月9日月曜日

福永武彦著「草の花」を読んで

私には惜しむらくも、青春時代にこの小説を読むことが出来たなら、もっと得るところも大きく、 読後深い感動に包まれたに違いないと、感じられます。 この作品が刊行されたのは昭和29年、私の生まれる2年前で、当時は若い人にとって、結核による 死や第二次大戦への応召は、身近な記憶であったでしょうし、私の青年期でさえ、忘れがたい 刻印であったからです。 主人公汐見茂思(しおみしげし)は、自らの結核による差し迫った死を意識しながら、学生時代 から徴兵までに至る、二つの実らなかった恋を手記の形で回想します。 第一の恋は、少年から青年期に向かう時期に特有の同性に対するプラトニックな恋で、この時代 から遥かに歳を重ねた現在の私でも、心情として理解出来るところがありますが、彼の第二の恋 が惜しむらくも第一の恋の延長線上にあることが、この報われない恋愛の前提としてあることに、 私は、やるせなさ、じれったさを感じます。 彼が芸術家的資質の思索的人間で、死が今よりもっと身近で、現実的であった時代に、自らの 存在意義や恋愛の至高の意味を形而上学的に究めようとしたことは、私にとっても想像出来ない ことではありません。 しかし、彼の恋は相手を省みず、余りにも一方的で、結果として相手の心が離れることになり ます。しかし献身的な愛を相手に捧げていると思っている彼は、自分の恋が身勝手であることに 気づきません。おまけに彼は、自分という存在に対する自信のなさから、相手を強気にリード することが出来ません。 その絶望的で深い孤独感。これは思春期から青年期の男子特有の心情であり、今とは比べようの ない過酷な時代の、一個の青年の自己に対して誠実であろうとした生き方を、読者自身の生き方 と重ね合わせて読むべきであるのかも知れません。 しかし、残念ながら現在の読者としての私は、歳を重ね過ぎていて、彼の生き方に共感を持つ ことは出来ませんでした。そこが、心残りではありました。 著者による登場人物の流れるような会話体、詩的な心情描写、美しく抒情的な情景描写は秀逸で、 古き良き時代の文士の残り香を感じました。

2020年11月6日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1976を読んで

2020年10月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1976では 作家森まゆみの『手に職』から、東京・神田のとび職の頭西出幸二の次のことばが取り上げ られています。    惚(ほ)れると惚(ぼ)けるはおんなし字だよ。 森が西出から、高所で命綱もつけずに飛び回る話を聞き、思わず「カッコイイ、惚れちゃう なあ」と声を上げると、間髪おかず返されたことばだそうです。 江戸の流れをくむ職人のいなせさを体現するようなことばですが、ちょっぴり含羞も含まれ ているように感じます。 でも、鷲田のコメントでも語られているように、惚れてもおぼれず、ちょっとすかして冷静 にことに当たることは、生きて行く上での極意の一つかも知れません。 私たちは、ことが上手く運ぶとつい調子に乗ったり、人の言うことを吟味しないで信じ込ん でしまったり、目の前の事実を当たり前のことと思い込んでしまったり、ついついしがち です。 でも、そこで待てよと冷静になり、慎重になれたなら、随分失敗や思い違いも少なくなるの ではないでしょうか? 私も今までの経験から、そうあるべきと自らを戒めているつもりですが、でも石橋を叩いて 渡るだけでは何か物足りないなあ、とも感じます。要は見極めと配分の問題なのでしょうが、 やはり世渡りは難しいものですね。

2020年11月3日火曜日

鶴見俊輔著「限界芸術論」を読んで

本書は、哲学者、思想家・鶴見俊輔による、1950年代から編まれた芸術を巡る論考の集積ですが、 遥かな時を隔てた今読んでも、一部に古色を帯びる感は拭えないにしても、これからの更なる展開 に道を開く意味でも、日本文化の本質を見据えた、創意に富む、優れた論述であると感じます。 まず鶴見は、芸術を分析するに当たり、これを純粋芸術、大衆芸術、限界芸術に分類します。 純粋芸術は、現在多少意味合いが変化してはいますが、クラシック音楽、絵画、和歌などの専門的 な芸術家によって作成され、専門的な享受者を対象とする高尚な芸術で、大衆芸術は、流行歌、 落語、大衆小説などの、職業的芸術家によって作成され、大衆を享受者とする芸術、そしてこれは 鶴見の独創的命名ですが、民謡、童謡、民話、手仕事など、非専門的芸術家によって作成され、 同じく非専門的享受者を対象とするのが限界芸術です。 本書では、そのうち大衆芸術と限界芸術について論じられていますが、限界芸術の分野こそ、これ まであまり顧みられることがなかったけれども、あらゆる芸術の萌芽をはらむものであり、最も 重視されるべきものであると、鶴見は説きます。 そして我が国において、限界芸術の探求に尽くした三人の先人を紹介することを通して、この芸術 がいかなるものであるかを考察したのが、本書の冒頭に置かれた「芸術の発展」であり、文字通り この本の核をなしていると思われます。 まず『限界芸術の研究』では、民俗学を介してこの芸術を研究した、柳田国男が取り上げられます。 彼は、民話の蒐集、民謡、盆栽、川柳などの研究を体系的に行い、各地の小祭こそが限界芸術を 集成したものであるという結論に至り、その復興の必要性を説きます。 次に『限界芸術の批評』では、民芸運動を提唱した柳宗悦が、各地に残る手仕事こそがこの芸術を 体現するものであり、この伝統の中に日本の美を発見し、世界に向けて発信することを企図します。 最後に『限界芸術の創作』では、宮沢賢治が農民の自発的な芸術活動として、この芸術の実践を 奨励し、志半ばで倒れるも、その思想に基づく珠玉の文学作品を残しました。 芸術一般の大衆化が言われて久しい今日、ますます各芸術分野の境界が曖昧になって来ていますが、 その本質としての限界芸術の意味付けは、更に重要になって来ていると思われます。その点に おいても、本書の価値は失われることはないと、感じました。