2020年11月12日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1979を読んで

2020年10月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1979では 古代ギリシャ哲学研究者・神崎繁の随想集『人生のレシピ』から、次のことばが取り上げ られています。    真夜中、携帯で話しながら通り過ぎてゆく声    を見送りながら、彼もしくは彼女は孤独なの    か、孤独でないのか、判らなくなる。 正に、携帯電話の登場によって、私たちの日常生活は大きく変貌を遂げたと、感じます。 それまでは、人と人のコミュニケーションは、直接に面と向かって会話するには双方が 集うという必須条件があり、手紙もしくは葉書、電報にはタイムラグが存在し、電話での 会話にしても固定電話であったために場所が限定されるという風に、様々な制約があり ました。 しかし携帯電話のコミュニケーションでは、原則としてどこにいても瞬時につながり、 会話が可能という革命的な利便性が獲得されました。 つまり私たちは現在、いつでも携帯電話を通じて人とつながっているという状況にあると も、言えます。 でもそのような環境は、本当に私たちを孤独から解放した、あるいは逆に、孤独な状態に 自らを置くすべを著しく減少させた、と言えるのでしょうか? 実際に、携帯電話での通話やSNSを介したコミュニケーションは、他者との親密さや心を 通じ合わせる機能を果たす場合もありますが、得てして、安易で形式的、あるいは一方的 な意思の表明に終始する傾向があるように、私には感じられます。 そのような場合、携帯電話というツールがあることによって、本当に人は孤独から解放 されたと言えるのかどうか、大いに疑問に感じます。 このように考えると、先端技術の発達が人間の孤独を深めるということも、あながち 間違いではないように、思われて来ます。

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