2020年11月3日火曜日

鶴見俊輔著「限界芸術論」を読んで

本書は、哲学者、思想家・鶴見俊輔による、1950年代から編まれた芸術を巡る論考の集積ですが、 遥かな時を隔てた今読んでも、一部に古色を帯びる感は拭えないにしても、これからの更なる展開 に道を開く意味でも、日本文化の本質を見据えた、創意に富む、優れた論述であると感じます。 まず鶴見は、芸術を分析するに当たり、これを純粋芸術、大衆芸術、限界芸術に分類します。 純粋芸術は、現在多少意味合いが変化してはいますが、クラシック音楽、絵画、和歌などの専門的 な芸術家によって作成され、専門的な享受者を対象とする高尚な芸術で、大衆芸術は、流行歌、 落語、大衆小説などの、職業的芸術家によって作成され、大衆を享受者とする芸術、そしてこれは 鶴見の独創的命名ですが、民謡、童謡、民話、手仕事など、非専門的芸術家によって作成され、 同じく非専門的享受者を対象とするのが限界芸術です。 本書では、そのうち大衆芸術と限界芸術について論じられていますが、限界芸術の分野こそ、これ まであまり顧みられることがなかったけれども、あらゆる芸術の萌芽をはらむものであり、最も 重視されるべきものであると、鶴見は説きます。 そして我が国において、限界芸術の探求に尽くした三人の先人を紹介することを通して、この芸術 がいかなるものであるかを考察したのが、本書の冒頭に置かれた「芸術の発展」であり、文字通り この本の核をなしていると思われます。 まず『限界芸術の研究』では、民俗学を介してこの芸術を研究した、柳田国男が取り上げられます。 彼は、民話の蒐集、民謡、盆栽、川柳などの研究を体系的に行い、各地の小祭こそが限界芸術を 集成したものであるという結論に至り、その復興の必要性を説きます。 次に『限界芸術の批評』では、民芸運動を提唱した柳宗悦が、各地に残る手仕事こそがこの芸術を 体現するものであり、この伝統の中に日本の美を発見し、世界に向けて発信することを企図します。 最後に『限界芸術の創作』では、宮沢賢治が農民の自発的な芸術活動として、この芸術の実践を 奨励し、志半ばで倒れるも、その思想に基づく珠玉の文学作品を残しました。 芸術一般の大衆化が言われて久しい今日、ますます各芸術分野の境界が曖昧になって来ていますが、 その本質としての限界芸術の意味付けは、更に重要になって来ていると思われます。その点に おいても、本書の価値は失われることはないと、感じました。

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