2020年11月9日月曜日
福永武彦著「草の花」を読んで
私には惜しむらくも、青春時代にこの小説を読むことが出来たなら、もっと得るところも大きく、
読後深い感動に包まれたに違いないと、感じられます。
この作品が刊行されたのは昭和29年、私の生まれる2年前で、当時は若い人にとって、結核による
死や第二次大戦への応召は、身近な記憶であったでしょうし、私の青年期でさえ、忘れがたい
刻印であったからです。
主人公汐見茂思(しおみしげし)は、自らの結核による差し迫った死を意識しながら、学生時代
から徴兵までに至る、二つの実らなかった恋を手記の形で回想します。
第一の恋は、少年から青年期に向かう時期に特有の同性に対するプラトニックな恋で、この時代
から遥かに歳を重ねた現在の私でも、心情として理解出来るところがありますが、彼の第二の恋
が惜しむらくも第一の恋の延長線上にあることが、この報われない恋愛の前提としてあることに、
私は、やるせなさ、じれったさを感じます。
彼が芸術家的資質の思索的人間で、死が今よりもっと身近で、現実的であった時代に、自らの
存在意義や恋愛の至高の意味を形而上学的に究めようとしたことは、私にとっても想像出来ない
ことではありません。
しかし、彼の恋は相手を省みず、余りにも一方的で、結果として相手の心が離れることになり
ます。しかし献身的な愛を相手に捧げていると思っている彼は、自分の恋が身勝手であることに
気づきません。おまけに彼は、自分という存在に対する自信のなさから、相手を強気にリード
することが出来ません。
その絶望的で深い孤独感。これは思春期から青年期の男子特有の心情であり、今とは比べようの
ない過酷な時代の、一個の青年の自己に対して誠実であろうとした生き方を、読者自身の生き方
と重ね合わせて読むべきであるのかも知れません。
しかし、残念ながら現在の読者としての私は、歳を重ね過ぎていて、彼の生き方に共感を持つ
ことは出来ませんでした。そこが、心残りではありました。
著者による登場人物の流れるような会話体、詩的な心情描写、美しく抒情的な情景描写は秀逸で、
古き良き時代の文士の残り香を感じました。
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