2015年4月29日水曜日

漱石「それから」の中の、三千代の黒い瞳

2015年4月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第二十回)に、旧知の平岡の細君三千代の訪問を受けて、代助が彼女の
顔貌に対して抱いて来た印象を記する、次の文章があります。

「三千代は美しい線を綺麗に重ねた鮮かな二重瞼を持っている。眼の
恰好は細長い方であるが、瞳を据えて凝と物を見るときに、それが何かの
具合で大変大きく見える。代助はこれを黒眼の働きと判断していた。
三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこういう眼遣を見た。
そうして今でも善く覚えている。三千代の顔を頭の中に浮かべようとすると、
顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿んだように暈された
眼が、ぽっと出て来る。」

「三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思わず瞬を一つ
した。」

私は以前に映画で見たので、おおよその話の筋を知っています。しかし
それを差し引いても、この場面での代助の三千代に対する思い入れは、
少なくとも彼が、彼女に対して好意を抱いていることを、如実に示して
います。

眼は心の窓、その眼差しに惹きつけられる。ましてや彼女の顔の輪郭が
思い浮かぶ前に、潤んだ黒い瞳が現れるなんて、何をか言わんや、です。

漱石の語りは、淡々と話を進めるように見えて、時にこのような情感豊かな
表現を紛れ込ませる。これも、彼の小説の忘れることの出来ない魅力でしょう。

2015年4月27日月曜日

中村文則著 「教団X」を読んで

中村文則の作品を読むのはこれが最初ですが、まず現代の私たちの
社会において、宗教を主題に小説を書くことの難しさを改めて感じました。
というのは、このような重い主題を正面に据えながら、エンターテイメントの
肌触りを有する小説を読むのは、初めての経験だからです。

それゆえに、深遠で多義の解釈を内包するテーマを、駆け足で通り抜ける
ような消化不良の読後感に少し戸惑いましたが、本書に散りばめられた
人が宗教に求める諸要素をもう一度反芻することによって、本作が語り
掛ける宗教の意味を考えてみたいと思います。

本書に登場する現代の広い意味での宗教指導者の一人松尾は、その
講話の中で最新の分子生物学の概念に触れます。つまり、地球上に
存在するあらゆる物質は分子の結合体であり、生物も決して例外では
ないのです。

生命活動とは、分子の結合体である細胞が新陳代謝によって絶え間なく
入れ代わり、つまり動の中の静として維持されているものです。そして
生物は死を迎えると、その体は構成体である分子に分解して、いずれ
新たな物質を形作ることになります。

このように、人間にとって長い間各個人の主観的な問題であった死に、
科学による客観的な事実が突きつけられた時、その死と密接に関わって
来た宗教は、どのように対処すればよいのか?本書の命題は、この一点に
尽きるように思われます。

本書の四人の宗教指導者の内、戦後の高度成長期を生きた鈴木は、悪を
引き受ける者を作ることによって善を広めるという思想に陥って自壊し、
アフリカの武装宗教組織「YG」のリーダーは、人を飢えさせないことを教義と
してメンバーを引き付けます。カルト教団を組織することになる沢渡は、
性的快楽によって信徒を支配しますが、虚無に耐えられず自滅します。

最後に、松尾自身の死後も受け継がれることになる、互いを思いやることに
よる緩やかな連帯を訴える彼の教えは、月並みなようですが、最早宗教的
狭量がなじまない現代社会に相応しいのかもしれません。

無論、命題の根本的な解決が見出される訳ではありませんが、難しい
問題に取り組んだ著者の意欲は、買いたいと思います。

2015年4月24日金曜日

漱石「それから」における、代助の死についての感覚

2015年4月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第十七回)に、代助が死に対して抱いている感覚について記する、次の
文章があります。

「彼は生の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に
往ったり来たりする苦悶を心に描き出しながら凝と坐っていると、背中
一面の皮が毛穴ごとにむずむずして殆ど堪らなくなる。」

「もし死が可能であるならば、それが発作の絶高頂に達した一瞬にある
だろうとは、代助のかねて期待する所であった。ところが、彼は決して
発作性の男でない。手も顫える、足も顫える。声の顫える事や、心臓の
飛び上がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆どない。激する
という心的状態は、死に近づき得る自然の段階で、激するたびに死に
やすくなるのは眼に見えているから、時には好奇心で、せめて、その
近所まで押し寄せて見たいと思う事もあるが、全く駄目である。」

代助は、封建的幕藩体制が近代的国家体制に変換して、まだ十分な時を
経ない時代を生きる人間です。彼の父親は若い時に武士として、事情が
あったとはいえ、勢いに駆られて家中の一人を兄と一緒に刀で斬り殺し、
情状酌量で切腹を免れた人物で、つまり、斬る、斬られるの修羅場を
実際に生きた人です。

代助はそのような前時代を身近に感じながら、自らは西洋の近代的知を
習得した知識人として、死生観においても、前近代と近代の裂け目に
引き裂かれているように感じられます。それは漱石自身も持つ感覚
だったのでしょう。

2015年4月21日火曜日

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー著「ヴァイツゼッカー回想録」を読んで

先日亡くなったドイツ連邦共和国第6代大統領で、東西ドイツ分断期から
統一後に至る大変困難な時期に、大統領として国民の統合を計り、また
演説の名手として敗戦四十周年には、「過去に目を閉ざす者は、現代にも
盲目となる。」という言葉で、世界の人々に深い感銘を与えた、
ヴァイツゼッカーの自伝です。

私が、このヴァイマル共和国時代から再統一ドイツの時代まで、文字通り
激動の現代ドイツの歴史を辿ることにもなるこの書物の中で、特に興味を
抱いたのは、次の2点です。

まず、ヴァイツゼッカーという稀有の高潔な政治家が生まれた、個人的な
土壌、背景は如何なるものであったのか?

彼の祖父はヴュルテンベルク王国の文化相、首相を歴任し、男爵の称号を
授与され、彼の父は外交官として、第二次大戦前夜の緊迫した国際関係の
中で、祖国ドイツのために奔走し、後に戦犯の嫌疑をかけられることに
なります。つまり彼は貴族であり、政治、外交に携わる家系に生を受けた
訳です。

私は本書を読んで、彼の政治手腕やものの考え方に、一族の経歴に
培われた成熟を感じました。

また彼がドイツの激動の時代に伴走しながら、政治的手法を磨いて行った
ことも、もちろん忘れてはなりません。第二次大戦ではドイツ軍の兵士として
前線に赴き、戦争の悲惨を目の当たりにし、戦後は起訴された父の
ニュルンベルク裁判での弁護を手伝うことによって、政治家は平和を絶対的な
価値としなければならないことを学んで行ったのです。そしてその考え方は、
一貫した対話によるドイツ再統一にも活かされるのです。

彼の思想的基盤として、もう一つ忘れてはならないのは、キリスト教です。
プロテスタントの福音主義教会に属する彼は、その人道的な価値判断を
その教義によっています。彼が所属する政党がキリスト教民主同盟である
ことも踏まえ、ヨーロッパではキリスト教という文化が、普遍的な価値を持つ
ことを思い出さされます。

次に残り字数もわずかとなりましたが、第二次大戦で同じく敗戦国となった、
ドイツ、日本の戦後政治の相違点について触れてみます。

ドイツは侵略した周囲の諸国と和解を成し遂げ、今日の国家共同体の設立に
至っています。他方日本は、今なお先の戦争の後処理を巡り、周辺国と
ギクシャクした関係にあります。色々な条件の違いはあるでしょうが、本書を
読んでいるとやはり彼我の差は、政治文化の成熟度の差に尽きると、感じざる
を得ません。まだ消化しきれないほどの、多くの示唆に富む書です。

2015年4月18日土曜日

漱石「それから」における高等遊民考

2015年4月16日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第十二回)の中に、代助の父親が定職に就かない彼に説教する、次の
言葉があります。

 「そう人間は自分だけを考えるべきではない。世の中もある。国家もある。
少しは人のために何かしなくっては心持のわるいものだ。御前だって、そう、
ぶらぶらしていて心持の好いはずはなかろう。そりゃ、下等社会の無教育の
ものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い
理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出るもの
だからな」
 「それは実業が厭なら厭で好い。何も金を儲けるだけが日本のために
なるとも限るまいから。金は取らんでも構わない。金のためにとやかくいうと
なると、御前も心持がわるかろう・・・」
 「三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな」

この言葉を読んでいると、現代社会に生きる私たちは、高等遊民とは一体
いかなる存在かと考えてしまいます。

確かに現代の日本にも、大学生の就職難、オーバードクター現象などが
存在して、社会問題化しています。しかもこれらの問題は、高学歴にも
関わらず就職先が見つからず、生活が成り立たないという深刻な事態
を示しています。

ところが、代助のような高等遊民の場合、裕福な家庭環境に育ち、せっかく
高等教育を受けながら、あえて職に就かずぶらぶらしているという雰囲気が
あります。

もちろん当時、生活苦の庶民が多数存在して、代助の家族はごく少数の
恵まれた人々という社会背景が存在します。彼の父親も彼に、金は稼がなく
てもいいから、自分の能力を生かして何か社会の役に立て、と言っています。

この浮世離れした代助が、これからどんな苦悩を抱え、如何なる矛盾に
直面して行くのか、注目しながら、読み進めて行きたいと思います。

2015年4月15日水曜日

化粧仕立て進物用の羽二重の白生地

久々に羽二重の白生地を、進物用に化粧仕立てして納める注文を受けました。

羽二重は日本の代表的な絹織物の一つで、平織という技法で織られ、絹本来の
光沢と滑らかさが有り、触れると適度なハリを感じさせる、優雅な織物です。

生地の厚み、巾のサイズによって、着物の表地用、襦袢、裏地用、洋装用など、
さまざまな用途に用いられますが、今回注文を受けたのは、男物着物用の重目
キングサイズの反物です。男用着物としては、礼装用の黒紋付き、色紋付き、
法衣等に使用されます。

この反物を整理後平だたみにして糸で綴じ、紅白の紐で作った菊結びの飾りを
付け、誂えた桐箱に奉書紙を敷いてから納めて、出来上がりです。

和装離れが進行してこの方、進物用の羽二重の白生地の注文を聞くことも
少なくなり、ましてや様々な儀式も簡略化されるようになって、化粧仕立てをして
納めることなど、本当に希少になりました。

桐箱に形よく収まった羽二重を改めて眺めてみると、一般的に商品の包装と
いうと、確かに過剰包装やむやみに飾り立てた装飾が目立ち、結果として無駄な
ゴミを生み出しているという現象もしばしば見受けられますが、逆に簡素で、
上品なしつらえには、手前みそながら、心地よい清潔感があるように感じられます。

ものの贈答という行為も、昨今では合理性の奨励や、無駄を省くという観点からも、
随分下火になりましたが、その行為が行われる場面によっては、心を込めた適切な
ものを贈るということは、受け取り手への感謝の心を形にするという意味でも
必要ではないかと、改めて思いました。

2015年4月13日月曜日

神戸市立博物館 「チューリッヒ美術館展」を観て

久しぶりに神戸へ行って、「チューリッヒ美術館展」を観て来ました。点数は
多くはありませんが、19世紀終盤から20世紀半ばまで、ヨーロッパ近代美術の
輝かしき時代を代表する芸術家、地元スイスゆかりの作家の名品が揃い、
すっかり満足して家路に着きました。

今回特に心引かれたのは、スイスゆかりの作家の作品で、ホドラー、
ヴァロットンは、寡聞にしてこれまで名前も知りませんでしたが、その独特の
魅力に強い感銘を受けました。

これらの画家は、ヨーロッパ美術の時代の思潮の影響を受けながらも、
スイスという地域性に根差す共通の基調を、作品のベースに有しているように
私には感じられました。

つまり、大国に四方を取り囲まれ、アルプスの山懐に抱かれた、風光明媚では
あるが冬には気候風土の峻厳の地で、自ずと特有の自然観、思索的な態度が
熟成され、その気分が共通して作品を彩っているように思われるのです。

ホドラーの対称、非対称を駆使した、躍動し揺らぐような人体表現は、音楽や
リズムというような、容易には平面上に視覚化出来ないものの表現の試みで
あると同時に、不安や恐れに脅かされざるを得なかった、当時のヨーロッパを
覆う不穏な空気に翻弄される人間の心情を、思索的方法で可視化したものに
相違ありません。

一方彼は風景画においては一転、その表現に厳しさを覗かせながらも、
たおやかで詩情豊かな世界を顕現させるのです。

ヴァロットンは、ナビ派のコーナーに展示されていましたが、私がナビ派というと
すぐにイメージする絵画と趣を異にして、風景画は雄大かつ抽象的詩情を湛え、
他方一場の心理劇を思わせる人物画は、姿態の形象を描きながら、近代に
おける人間存在の本質を深く探究しているようでもあります。

長く引き伸ばされた人物像で知られたジャコメッティや、旧知で私のお気に入りの
クレーの作品も、この会場で出会うと常にも増して、随分思索的の趣を呈する
ように感じられました。作品を展示する場の力というものに、改めて気づかされた
思いがしました。

2015年4月12日日曜日

ティム・バートン監督 映画「ビッグ・アイズ」を観て

この映画は信じられないようですが、現実にあった話の脚色化作品です。

1960年代のアメリカ、悲しみを湛えた大きな瞳の子供を描く女性画家
マーガレットの絵を、彼女の夫ウォルターが自分の作品と偽って世間に
発表して、一躍脚光を浴び、以降彼女はその秘密を胸に秘して、自分の
作品と公表出来ない絵を描き続けます。それにも関わらず彼女は、その
作品がどんどん世評を高めて行く現実に苦悶しますが、遂には決意を
固めて・・・。

本来ならこの映画を観る者は、その場面で清々しいカタルシスを共有
出来るはずなのに、私には何か、釈然としない澱のようなものが残りました。
その理由を突き詰めてみると、ここに取り上げられたアメリカのポップ
アートの価値観が、私の心に思い描く従来からの絵画のそれと、少しずれて
いるためではないかと、思い至りました。

つまりマーガレットの絵は、一目見た時多くの人を惹きつける魅力を持って
いますが、それが世間に認められるためには、センセーショナルな
切っ掛けが必要だったのです。従来ならば画家は、その作品の力によって
徐々に評価を高めて行きますが、彼女の絵画は閃きによって、一瞬にして
画家を時代の寵児に押し上げたのです。

ですから、両者は自ずと性格を異にする。移ろい易い世間の評価を維持する
ためにも、マーガレットの絵画には常に、話題の提供が不可欠だったのです。

その点ウォルターは、画家のイメージ作りと作品の売り込みに対して、
天才的な能力を持っていました。彼が画家マーガレットのマネージャーに
徹していれば、二人は素晴らしいコンビになっていたでしょう。

しかし現実には、ウォルターには自己顕示欲と虚言壁があり、マーガレットは
まだ女性の地位が低い時代状況もあって、自分の意志を世間に示す手段を
持たなかった。それ故私には、このセンセーショナルな詐称事件が、彼の
一方的な罪によるものには思えないのです。

ただマーガレットは、ウォルターも芸術家仲間であると信じていたゆえに、彼に
自分の作品をゆだねたのだと、思われる節があります。二人が出会った時に
ウォルターが自らの描いた絵のように装った作品も、実は他人の絵である
ことに彼女が気付いた時の絶望に対しては、彼には十分に罪を償うべき
根拠があると、思いました。

2015年4月10日金曜日

漱石「それから」の中の、平岡の便りに返信する代助の不安について

2015年4月8日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
第6回に、新婚の親友、平岡の得意げな便りに、何か割り切れないものを
感じる代助について語る、次の記述があります。

「平岡からは断えず音便があった。安着の端書、向うで世帯を持った報知、
それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あった。手紙の
来るたびに、代助は何時も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が
返事を書くときは、何時でも一種の不安に襲われる。たまに我慢するのが
厭になって、途中で返事をやめてしまう事がある。ただ平岡の方から、
自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来る場合に限って、
安々と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。」

平岡が登場して、いよいよ物語の本筋が動き出しました。それにしても
随分思わせぶりな物言いです。どうして代助は、親友であるはずの
平岡の便りに返事を書く時、心がざわつくのか?そこには何かのっぴき
ならぬ秘密が隠されていることが、問わず語りに伝わって来ます。

もちろん私には、森田監督の映画の筋から推測して、その代助の不安が
どこから発するのか、おおよその見当は付くのですが、それにしても
読者の好奇心を、あたかも隔靴掻痒とでも言うように微妙にくすぐる、
巧みな表現と感じました。

このあたり漱石は、新聞小説において、読者の興味を引っ張るすべを
熟知していたのでしょう。

2015年4月8日水曜日

龍池町つくり委員会 15

4月7日に、第33回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

最初に平成26年度の事業報告と決算報告が行われ、続いて4月19日(日)に
開催される「大原たついけ茶話会」に、話題が移りました。

開催場所はいつものように公益財団法人 龍池教育財団大原郊外学舎、
開催時間は11:00~14:00、昼食はばら寿司とお汁が用意される予定で、
参加費用は500円です。

当初桜を愛でながらという趣旨だったのですが、色々な事情もあって、残念
ながら当日はやや遅きに失しそうです。ただし大原の自然を楽しむには
ちょうど良い時候で、大原学舎近隣の方々と親交を深めるという目的もあり、
地元大原からは約20名が参加していただくということで、学区住民側からも
多くの参加が望まれます。

次に、新住民に配布する案内冊子の素案の検討に入り、委員長より学区の
歴史、伝統の紹介を重視したものにしては、との要望がありました。他の
場所からこの龍池学区に移り住んだ人々に、この地域の一種独特な雰囲気を
自然な形で知ってもらうことのむつかしさを、改めて感じました。

また他の委員からの提案として、今までに委員会が開催した各種催しの
参加者のフォローに、もっと取り組むべきだ、というものがあって、新たな
企画を求めて前進するのみならず、もう一度足元を見つめる事の重要さも
感じさせられました。

いよいよ新年度のスタートです。委員会活動においても、色々な面で新たな
展開が期待されます。

2015年4月5日日曜日

散り始めた桜に思う

一昨日の雨には、どうにか持ちこたえましたが、さすがに追い打ちを
かける今日の雨には耐えきれなかったのか、京都市中の桜もいよいよ
散り始めました。

写真は、私たちの学区、旧龍池小学校のマンガミュージアム・グラウンドの
緑の芝に、薄紅色の桜の花びらが散り敷く光景を写したものです。

桜は、咲き始めるのを今か今かと待ちわびるゆえにか、いっせいに
咲きそろい、惜しむ間もなく散り初める風情にも、えも言われぬ情緒が
あります。

中でも、風にあおられ、花吹雪となって舞い散る花びらも捨てがたい
のですが、私は、雨に降られて散り敷いた花びらに、より趣を感じます。

何故なら、満開の桜の花には、もちろん雨は大敵ですが、いったん
散り始めた花びらには、雨や水分はずい分と相性が良いように感じられる
からです。

散り落ちて水気を含んだ花びらは、独特のうるんだ薄紅色に輝きます。

例えば、川面に夥しく散り敷いて流れる花いかだには、その一つ一つの
花弁の美しさも相まって、優雅で、過ぎ行く時を惜しむような独特の
情趣があります。

同様に、雨の中、芝に散り敷く花びらの情景も、緑と薄ピンクのコントラストが
鮮やかで、思わず見とれてしまいました。

2015年4月3日金曜日

朝日新聞朝刊の漱石「それから」再連載に寄せて

2015年4月1日より、朝日新聞朝刊に夏目漱石「それから」の106年ぶり
連載がいよいよ始まりました。

同じ漱石作品でも、私にとって「こころ」は、一度本で読んだ作品を
新聞連載でもう一度味わうことになり、一方「三四郎」はこの連載で
初めて読んだので、読書体験という意味でも、それぞれに違う趣が
ありました。

他方「それから」は、まだ読んだことはないのですが、もう30年ほど前
森田芳光監督のこの小説を原作とする映画を観て、今でも忘れがたい
印象が残っているので、そのイメージと実際の小説がどのように
違うのか、ということにも留意しながら、読み進めていきたいと思います。

連載の第一回を読むと、主人公長井大助は神経質なところもありますが、
自分の容姿にずいぶん自信を持つ、ナルシストの男と見受けられます。

また物語の導入部は、何やら滑稽味があり、のんきで楽し気な話の
進み行きが想像されます。

それに対して森田監督の「それから」では、主人公大助を演じる俳優が
あの松田優作で、高等遊民という大助の気楽な立場の設定にも
かかわらず、のっけからまるで大きな罪を抱えた悩める男という雰囲気を
醸していたように記憶しています。

そのあたりのニュアンスの違いも、これからの展開をいよいよ楽しみに
してくれそうです。