2015年4月24日金曜日

漱石「それから」における、代助の死についての感覚

2015年4月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第十七回)に、代助が死に対して抱いている感覚について記する、次の
文章があります。

「彼は生の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に
往ったり来たりする苦悶を心に描き出しながら凝と坐っていると、背中
一面の皮が毛穴ごとにむずむずして殆ど堪らなくなる。」

「もし死が可能であるならば、それが発作の絶高頂に達した一瞬にある
だろうとは、代助のかねて期待する所であった。ところが、彼は決して
発作性の男でない。手も顫える、足も顫える。声の顫える事や、心臓の
飛び上がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆どない。激する
という心的状態は、死に近づき得る自然の段階で、激するたびに死に
やすくなるのは眼に見えているから、時には好奇心で、せめて、その
近所まで押し寄せて見たいと思う事もあるが、全く駄目である。」

代助は、封建的幕藩体制が近代的国家体制に変換して、まだ十分な時を
経ない時代を生きる人間です。彼の父親は若い時に武士として、事情が
あったとはいえ、勢いに駆られて家中の一人を兄と一緒に刀で斬り殺し、
情状酌量で切腹を免れた人物で、つまり、斬る、斬られるの修羅場を
実際に生きた人です。

代助はそのような前時代を身近に感じながら、自らは西洋の近代的知を
習得した知識人として、死生観においても、前近代と近代の裂け目に
引き裂かれているように感じられます。それは漱石自身も持つ感覚
だったのでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿