2015年4月12日日曜日

ティム・バートン監督 映画「ビッグ・アイズ」を観て

この映画は信じられないようですが、現実にあった話の脚色化作品です。

1960年代のアメリカ、悲しみを湛えた大きな瞳の子供を描く女性画家
マーガレットの絵を、彼女の夫ウォルターが自分の作品と偽って世間に
発表して、一躍脚光を浴び、以降彼女はその秘密を胸に秘して、自分の
作品と公表出来ない絵を描き続けます。それにも関わらず彼女は、その
作品がどんどん世評を高めて行く現実に苦悶しますが、遂には決意を
固めて・・・。

本来ならこの映画を観る者は、その場面で清々しいカタルシスを共有
出来るはずなのに、私には何か、釈然としない澱のようなものが残りました。
その理由を突き詰めてみると、ここに取り上げられたアメリカのポップ
アートの価値観が、私の心に思い描く従来からの絵画のそれと、少しずれて
いるためではないかと、思い至りました。

つまりマーガレットの絵は、一目見た時多くの人を惹きつける魅力を持って
いますが、それが世間に認められるためには、センセーショナルな
切っ掛けが必要だったのです。従来ならば画家は、その作品の力によって
徐々に評価を高めて行きますが、彼女の絵画は閃きによって、一瞬にして
画家を時代の寵児に押し上げたのです。

ですから、両者は自ずと性格を異にする。移ろい易い世間の評価を維持する
ためにも、マーガレットの絵画には常に、話題の提供が不可欠だったのです。

その点ウォルターは、画家のイメージ作りと作品の売り込みに対して、
天才的な能力を持っていました。彼が画家マーガレットのマネージャーに
徹していれば、二人は素晴らしいコンビになっていたでしょう。

しかし現実には、ウォルターには自己顕示欲と虚言壁があり、マーガレットは
まだ女性の地位が低い時代状況もあって、自分の意志を世間に示す手段を
持たなかった。それ故私には、このセンセーショナルな詐称事件が、彼の
一方的な罪によるものには思えないのです。

ただマーガレットは、ウォルターも芸術家仲間であると信じていたゆえに、彼に
自分の作品をゆだねたのだと、思われる節があります。二人が出会った時に
ウォルターが自らの描いた絵のように装った作品も、実は他人の絵である
ことに彼女が気付いた時の絶望に対しては、彼には十分に罪を償うべき
根拠があると、思いました。

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