2020年6月29日月曜日

南嶌宏美術評論集「最後の場所」を読んで

現代美術の評論は、とにかく難解であるために、今まで敬遠して来たところがあります。
しかし今回、日本を代表する美術評論家でありキューレターであった、南嶌宏の評論集
が出たことで、この機会に思い切って読んでみることにしました。

読み終えた結論から言うと、重い読書でした。かなり難渋しました。しかし考えてみれば、
現代美術は現代社会がまとう言葉にならないものを作品として示すのですから、簡潔に
評論で語りえないのは、自明のことです。

従って本書でも、私が今まで観たことのない美術家、作品について評論した部分は、
正直意味を理解するためには、隔靴搔痒の感がありました。しかし、私が今までにその
作品に触れて、感銘を受けた美術家を扱った評論には、確かに心に響くものがありま
した。

例えば、「静聴せよ、美と共同体と芸術闘争に就いて、静聴せよ」で森村泰昌について
語った評論では、ある意味美に殉じて壮絶な自死を遂げた三島由紀夫と対比して、
森村の対象になりきり、その姿を作品として提示することによって、自己を再照射する
試みを、彼が一旦自らを殺害することによって初めて立ち上がって来る、感興を掬い
取る芸術であると喝破する部分には、森村の作品を理解するために、大いに助けに
なるところがあると、感じました。

また「絶対の孤独」岡本太郎では、彼が戦前、戦後で価値観が劇的に転換した、昭和
という激動の時代の、戦後の高度経済成長の一つの極みとしての祭典であった、大阪
万国博覧会会場に、あの太陽の塔を提示したことを例に挙げて、この国に起こった
異様な物質文明の狂騒に、太古から受け継がれる純粋な芸術の精神を掲げて、一人
立ち向かう存在であった、孤独な芸術家の肖像を浮かび上がらせています。今万博
公園に一人佇む太陽の塔を想うと、この評論も感慨深いものがありました。

南嶌の活動のもう一つの柱として、キューレターの活動があります。彼は、いくつかの
国内の主要な現代美術館の設立に関与し、話題となる展覧会を多数企画しました。

本書を読んで特に私の印象に残ったのは、熊本市現代美術館「ATTITUDE2002」に
おける、ハンセン病療養所に長く隔離されていた女性患者の所持品である人形「太郎
」の展示、同じく「生人形と松本喜三郎 反近代の逆襲」における、長らく社会的な
タブーから芸術作品として評価されなかった生人形に、光を当てたことです。

優れた現代美術が、社会的批評性を持ちうるものであることを、改めて感じさせられ
ました。

2020年6月26日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1848を読んで

2020年6月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1848では
コメディアン・志村けんの人生指南の書『志村流』から、次のことばが取り上げられて
います。

   飽きられないマンネリ、日々新たなマンネリ
   というものがあるんだ。

ご存知、新型コロナウイルス感染症で亡くなった人気のお笑いタレント。彼の死に
よって、日本の一般の人々のこのウイルスに対する警戒感が、一気に増したように
感じました。その意味でも、現在我が国でコロナ禍による死亡者数が、低い水準に
抑えられている要因の一つに、彼の死があったように思われます。コメディアンとして
残した功績と共に、その点でも彼は、私たちの社会に貢献してくれたのでしょう。

また生前の晩年の活動を見ていても、動物との触れ合い番組に、中心的存在として
出演していたり、人情味とユーモアのある優しいおじさん、というイメージがあり
ました。そして決して奇をてらったり、斜に構えたり、こざかしくもなく、地道に人を
笑わせる存在という雰囲気も。

そのイメージからして、上記の言葉は彼らしいことばであると、感じます。そうして
努力を重ねて来たのだな、というような。

そして上記の言葉が当てはまるのは、何もコメディアンの人生に限りません。いや
むしろ、一般人の生き方にこそ示唆に富むことばです。

私たちの暮らしは、日々同じことの繰り返し。時々新たなこと、特殊なことなど、日常
に変化が訪れるけれども、圧倒的に大多数の時間は、同じ日課の反復です。でも
同じであることが有難く、恵まれている、ということではないか?そしてその中でも、
日常を自分自身飽きず、周囲も飽きさせず、繰り返して行く。その結果気づけば、
随分と遠いところまで来た、ということになるのではないでしょうか?

上記稀代のコメディアンのことばは、普通の生き方の極意であるようにも、感じました。

2020年6月23日火曜日

京都市京セラ美術館「杉本博司 瑠璃の浄土」を観て

京都市京セラ美術館に、リニューアルオープン後二回目の訪問をしました。今回は
旧美術館の東側に増設された、主に現代美術などの展示を担う「東山キューブ」で
開催されている、開館記念特別展「杉本博司 瑠璃の浄土」です。

この美術館は、コロナ禍により開館が大幅に遅れて、しかも開館当初は京都府内
在住者限定の事前予約による入場受付でしたが、6月19日より以前事前予約制
とはいえ、他府県の入場者も受け付けるようになりました。しかしまだ入場者は
それほど多くはなくて、私も行く予定の日の二日前に予約をしたにもかかわらず、
当日の予約状況は、まだまだ空きがあるようでした。

「東山キューブ」は、今回初めて訪れましたが、旧館との調和に考慮しながらも
モダンな建物で、何よりも隣接する、杉本設計の透明ガラスで覆われた茶室
「聞鳥庵(モンドリアン)」を設置した池を中心とする、日本庭園のそこからの眺め
が素晴らしく、魅力的な施設となっていました。

「瑠璃の浄土」は、杉本が同館のリニューアルオープンに合わせて、同館の所在地
京都岡崎にかつていくつもの寺院があったことを踏まえて、長く私たち日本人の
宗教的な価値観の核心であった浄土思想と再生への思いを、現代の社会状況の
中で新たに希求しようとする試みです。

会場全体が一つの寺院建築のように構想されていて、各作品の展示空間は有機的
なつながりがあるように配置されていますが、その中でも私が特に強い印象を受け
た展示空間は三つです。

一つは、ニュートンのプリズム実験装置を応用して、分光された光を撮影し、作品化
したパネル「OPTICKS」を壁面に配置したキリスト教会のカテドラルのような空間。
ここでは、敬虔な雰囲気、柔らかい光に包まれた感覚を味わうことが出来ます。

次は、本展のメイン展示とも言え、会場全体の本堂にもたとえられる、杉本が
蓮華王院三十三間堂の観音像群を早朝の光の中で写真撮影して、パネル作品化
した「仏の海」の連作を、三方の壁面に並べて仏堂を再現したように配置した空間。
ここでは、荘厳さ、深遠さを感じることが出来ます。

三番目は、杉本が、かつて平安時代末期の天皇であった崇徳院が配流された、
瀬戸内海の直島に再建した、護王神社の模型と、同じく後鳥羽院が流された壱岐の
島から見た海を、写真撮影してパネル化した「日本海、壱岐」を並べた空間です。
こちらでは、何か既視感のあるような、懐かしい感覚に囚われました。

この展覧会は、鑑賞者に普遍的な意味での浄土を提示し、それぞれに再生への
希望を芽生えさせようとする企てであるように、感じられました。体全体で感じ取る
ことが求められる、かつてない美術体験でした。



2020年6月19日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1825を読んで

2020年5月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1825では
同紙5月1日夕刊の「プレミアシート」から、引退間近の老精神科医を撮った、想田和弘
監督の映画「精神0」に寄せた、映画ライター・月永理絵の次のことばが取り上げられて
います。

   顔を寄せ合い対話すること。手を重ね合わせ
   ること。それがどれほど貴重で脆いものであ
   るかを、私たちはついに知ってしまった。

今回のコロナ禍が、身近な部分で私たちに感じさせたこと。その第一に人との何気
ない交わりの大切さが、挙げられるのではないでしょうか。

それはあまりにも当たり前過ぎて、今まで気づかなかったことです。

私たちは日々、仕事の上でも、交友の上でも、近所付き合いでも、あるいは、日常の
行動や趣味においても、人と言葉を交わし、触れ合って来ました。でも、それらが禁じ
られたり、制限を加えられると、その不便さだけではなくて、私たちの心は消沈し、
さみしさ、物足りなさに囚われることに、なってしまったのです。

つくづく人間は、社会的な存在であることが、痛感されました。

そして勿論、何気ない交わりだけではなく、もっと親密な交わりが、人の生の根本的
な部分で、人の心にとって大切であることは言うまでもありません。

例えば私の場合は、自宅で介護をしていた晩年の母との対話において、目を見つめ
手を取り、語りかけるということが、母にとっても安心感を与えていると感じられました
し、私自身にとっても救われるものを感じました。

コロナ禍によって人と密に触れ合えないことは、感染のリスクだけではなく、心の部分
で人間存在をむしばむものであることを、改めて感じさせられました。

2020年6月15日月曜日

堂本印象美術館「コレクション展 おしゃべりな絵画」を観て

新型コロナウイルスによる、緊急事態宣言が明けてから二つ目の美術館として、堂本
印象美術館に行って来ました。

入館のためには感染症対策として、マスク着用の義務化、備え付けのアルコールで
消毒、館内での感染症発生の場合のための電話連絡先記入、そして体温測定が課せ
られて、ようやく入場することが出来ました。まだまだ開館のための慎重な対策が取ら
れていると、感じました。

本展は、全作品が堂本印象の絵画によるコレクション展ですが、ユニークな試みと
して、それぞれの作品の登場人物の会話やつぶやきが、具体的なセリフの形で、説明
書き毎に添えられていて、絵を観るための助けとなると同時に、鑑賞者もセリフを考え
るなど想像をめぐらして、作品を味わうことが出来るようになっています。これも楽しい
試みであると、感じました。

また、本展で私が最も印象深く感じたのは、6点の「仙人図」で、いわゆるよくある
水墨画の粗いタッチの仙人の絵とは違って、淡い彩色と繊細な線を用いた日本画の
様式で描かれていながら、独特の詩情、とぼけた風情、ユーモアがあり、東洋、西洋
の規範に囚われない印象の絵画のスタイル、および彼の人柄を彷彿とさせると、感じ
ました。

更には、「最后のガラシャ夫人」、「ルソン行途上の高山右近」などの、大阪玉造教会
の壁画下絵も数点が展示されていて、自らは仏教徒であった印象が、キリスト教に
も共感を感じ、その壁画作品に情熱を持って取り組んだ様子が見て取れて、彼の画業
の幅広さ、スケールの大きさを、改めて感じました。

2020年6月12日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1824を読んで

2020年5月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1824では
イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』から、次のことばが
取り上げられています。

   今からもう、よく考えておくべきだ。いった
   い何に元どおりになってほしくないかを。

今回のコロナ禍の襲来を振り返ってみると、まず中国での発生が伝えられ、病院
に収容される夥しい数の人々のテレビ画像、町の封鎖風景や、現地での感染の
疑いのある人々に対する、一般の人々の強い警戒感などに映像で触れて、まだ
実感のない漠然とした不安であったものが、横浜入港の旅客船での乗客感染に
よって、一挙に現実の恐怖となったことを、昨日のことのように思い出します。

それからは、全国に感染者があっという間に拡大して、他都道府県への移動や
三密の禁止、それに伴う公共施設、飲食店などの不特定多数の人々が集まる
場所の営業規制、職場への通勤も出来るだけ少なくするなど、いわゆる各自が
自宅にとどまることが求められて、その結果感染者数の増加もようやく落ち着き、
徐々に規制の解除が広がって来て、今日に至っています。

その間、グローバル化の弊害や大都市の人口の過剰な密集、医療体制の脆弱
さ、高齢化問題、貧富の格差の拡大など、私たちの現代社会が抱える様々な
問題が明らかになって来ました。

またその副産物として、SNSでの風評被害の拡散や自粛警察など、人権を抑圧
するような過剰な監視社会の様相も、広がって来ています。

コロナ感染症の収束後には、一時も早い経済的不利益を被った人々、商店、企業
の救済、回復が求められるのは言うまでもありませんが、それは全てが元通りに
なることではなく、コロナ前の旧弊を正しながら、より良い社会を目指すものに
ならなければならないでしょう。

2020年6月9日火曜日

高橋源一郎の「歩かないで、考える」を読んで

2020年5月15日付け朝日新聞朝刊、オピニオン&フォーラム面、高橋源一郎の「歩か
ないで、考える」では、作家・高橋源一郎が、今回のコロナ禍による自宅待機生活の
中で、感染症に関わる書物をまとめて読んで感じたことについて、語っています。

彼が閉じ込められた状態で本を読んで思索するのは、18歳の時に学生運動で逮捕
されて、拘置所の独房で過ごした7か月以来、そしてその体験が現在の自分を作った、
ということから語り起して、そのような状況の中で当事者が感じる、世界から取り残され
るような不安が、現在のコロナ禍で自宅待機を余儀なくされる私たち全てに通じること、
更には過去の感染症蔓延の事象が、歴史的にはその当時の社会を転換させた事実
について述べ、コロナ後の社会について、私たち自身が思索を深めることの必要性を
説きます。

その後に、彼が今回のコロナウイルス感染症について語ることは二点、一つは、私
たちが以降もこの感染症、あるいは広い意味で新たな感染症リスクと、これからも付き
合って行かなければならないということ、つまり私たちの社会は、決してコロナ前の社会
にはもう戻れないということ、それゆえウイルスとの共生を念頭に社会を構築すべきで
あり、更には、この時点でコロナ前の社会を批判的に検証すべきである、ということです。

確かに今回に限っても、新型コロナウイルスのワクチンは、まだ開発されていない段階
であり、更にこのウイルスの抗体を、多くの人が保有している訳でもないので、一時状態
が落ち着いているとは言え、このコロナウイルス感染症がいつ再度蔓延するとも限らず、
従って私たちは、当分の間このウイルスが存在することを前提に、生活モデルを作ら
なけれならないことになります。そしてその新たなモデルは、グローバル化や大都市圏
への人口の密集といった、従来の生活様式を問い直すことにもなります。

また今回のウイルス感染症は、私たちの社会が抱える、疫病リスクへの対応の脆弱さ
や高齢化問題、貧富の格差など、様々な弱点を明らかにしました。コロナ後の世界では、
これらの弱点を克服するための対策が、早急に求められることになります。

そして高橋が語る二点目は、私たちが今回の災厄が過ぎ去った後も、ここから得た教訓
を決して忘れず、来るべき次回の感染症リスクに対する対策を、恒常的に続ける努力を
しなければならない、ということです。この論考は、新型コロナウイルス感染症がもたらす
であろう社会の劇的変化について、説得力を持って語る優れた論考であると、私は感じ
ました。

2020年6月4日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1814を読んで

2020年5月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1814では
自身も血管奇形という難病を患い、同病の難病指定と患者の相互支援のために活動
して来た、特定非営利活動法人代表・有富健の『負けるものか!』(真里鈴構成・編集)
から、次のことばが取り上げられています。

   喜怒哀楽のうち、怒りと哀しみは積もるもの
   であり、喜びと楽しみは積もらない。

難病を抱える発言者のことばとして、この言葉の重みは、私などにはとても簡単に推し
量れないとしても、上記の言葉を目にした時、私は、このコロナ禍の状況の中で、何か
勇気を与えられるような、感覚に囚われました。

というのは、この言葉は一見すると、「怒りと哀しみは積もる」という深刻な事実を突き
つけるように見えて、逆に「喜びと楽しみは積もらない」という後半の部分に、逆説的
な能動性、希望をはらんでいるように、私には感じられたからです。

つまり、「喜びと楽しみは積もらない」ものだから、私たちは常に「喜びと楽しみ」を生み
出し、見つけ出す努力をしなければならない。そしてその積極的な論法から言うと、
放っておいても「怒りと哀しみは積もる」ものだから、それを前提として、打ち勝つことを
目指さなければならない、というふうに。

このように、同じ言葉でも捉え方によって、全く逆の意味を帯びる場合があり、その言葉
を私たちがどのように受け止めるかは、発言者や受け手の心の在り方や、その時々の
状況に左右されると思いますが、今まさに困難な状況の中でこの言葉は、岩の裂け目
に染み入るように、愁いを帯びた私の心に届けられるように、感じました。

言葉というものの持つ力を、まざまざと感じさせられる思いがしました。

2020年6月1日月曜日

大江健三郎著「個人的な体験」を読んで

最初、頭部に異常を持って生まれて来た新生児の父親となる覚悟が出来ず、苦悶と
葛藤の果てに、ついには、障碍を持つかも知れない子供と共に生きて行く自覚を生み
出した、男の物語。

この小説を、一文で要約するとそういうことになりますが、周知のように、作者大江
健三郎自身が同様の体験をしているとはいえ、この物語が決して現実に基づいた
私小説ではなく、多くの虚構を含む、フィクションであることは言うまでもないでしょう。

ではどうして、彼はこのような形式の小説を書き上げたのか?私が思うに、一般的な
人間ならば、このような危機的状況に追い詰められて、抱くに違いない絶望からの
再生を、この小説の話法によって、際立たせたかったのではないでしょうか。

もしそうであるなら、主人公鳥(バード)の学生時代の恋人で、それから以降も親密な
関係が続き、今回の危機でも産後の入院を続ける彼の妻をしり目に、彼が寡婦である
彼女の家に転がり込んで、性的快楽を貪る火見子(ひみこ)の存在が、重要な意味を
持ちます。

火見子とは、いかなるものを象徴しているのか?最初彼女は結婚するも、一年で夫
に自殺されて、残された家で昼夜逆転の自堕落な生活を送り、性においても見境なく、
男を受け入れる女として登場します。

そして鳥(バード)の苦境を知って、その赤ん坊の一刻も早い死を願うという彼の悲しみ
と罪悪感から、肉体的な苦痛に耐えながらアブノーマルな性交をすることによって、彼
を絶望の淵から救います。その姿は自己犠牲を厭わず、無条件に相手を受け入れる、
俗性をまとった穢れなき心の象徴のように思われます。

しかし彼女は、鳥(バード)が彼女と肉体関係を続けながら、件の子供を死に至らしめる
べく画策するうちに、次第に彼に加担し、彼との逃避行を夢想するようになります。ここ
に至って火見子は、彼をそそのかす魔性の象徴のようにも思われます。

結局彼女も、我欲に支配された一人の生身の人間という見方もありますが、私は彼女
が、鳥(バード)の心の揺れを引き立たせる、彼の心の働きの裏面を支える存在と、読み
解きました。

彼が、障碍を持つかも知れない子供と共に生きて行く覚悟を決めた物語の最後、冒頭
で意気軒高な彼が挑発したために、喧嘩になった不良少年グループと再会したのに、
最早彼らが鳥(バード)を認識出来なかったために、そのまま通り過ぎた場面、更には、
彼の義父が彼に「きみはもう、鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」と語る
場面が現すように、人生の困難と向き合う勇気を得た彼は、分別ある大人への階段を、
確実に上がったのでしょう。