2020年6月26日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1848を読んで

2020年6月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1848では
コメディアン・志村けんの人生指南の書『志村流』から、次のことばが取り上げられて
います。

   飽きられないマンネリ、日々新たなマンネリ
   というものがあるんだ。

ご存知、新型コロナウイルス感染症で亡くなった人気のお笑いタレント。彼の死に
よって、日本の一般の人々のこのウイルスに対する警戒感が、一気に増したように
感じました。その意味でも、現在我が国でコロナ禍による死亡者数が、低い水準に
抑えられている要因の一つに、彼の死があったように思われます。コメディアンとして
残した功績と共に、その点でも彼は、私たちの社会に貢献してくれたのでしょう。

また生前の晩年の活動を見ていても、動物との触れ合い番組に、中心的存在として
出演していたり、人情味とユーモアのある優しいおじさん、というイメージがあり
ました。そして決して奇をてらったり、斜に構えたり、こざかしくもなく、地道に人を
笑わせる存在という雰囲気も。

そのイメージからして、上記の言葉は彼らしいことばであると、感じます。そうして
努力を重ねて来たのだな、というような。

そして上記の言葉が当てはまるのは、何もコメディアンの人生に限りません。いや
むしろ、一般人の生き方にこそ示唆に富むことばです。

私たちの暮らしは、日々同じことの繰り返し。時々新たなこと、特殊なことなど、日常
に変化が訪れるけれども、圧倒的に大多数の時間は、同じ日課の反復です。でも
同じであることが有難く、恵まれている、ということではないか?そしてその中でも、
日常を自分自身飽きず、周囲も飽きさせず、繰り返して行く。その結果気づけば、
随分と遠いところまで来た、ということになるのではないでしょうか?

上記稀代のコメディアンのことばは、普通の生き方の極意であるようにも、感じました。

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