2020年6月19日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1825を読んで

2020年5月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1825では
同紙5月1日夕刊の「プレミアシート」から、引退間近の老精神科医を撮った、想田和弘
監督の映画「精神0」に寄せた、映画ライター・月永理絵の次のことばが取り上げられて
います。

   顔を寄せ合い対話すること。手を重ね合わせ
   ること。それがどれほど貴重で脆いものであ
   るかを、私たちはついに知ってしまった。

今回のコロナ禍が、身近な部分で私たちに感じさせたこと。その第一に人との何気
ない交わりの大切さが、挙げられるのではないでしょうか。

それはあまりにも当たり前過ぎて、今まで気づかなかったことです。

私たちは日々、仕事の上でも、交友の上でも、近所付き合いでも、あるいは、日常の
行動や趣味においても、人と言葉を交わし、触れ合って来ました。でも、それらが禁じ
られたり、制限を加えられると、その不便さだけではなくて、私たちの心は消沈し、
さみしさ、物足りなさに囚われることに、なってしまったのです。

つくづく人間は、社会的な存在であることが、痛感されました。

そして勿論、何気ない交わりだけではなく、もっと親密な交わりが、人の生の根本的
な部分で、人の心にとって大切であることは言うまでもありません。

例えば私の場合は、自宅で介護をしていた晩年の母との対話において、目を見つめ
手を取り、語りかけるということが、母にとっても安心感を与えていると感じられました
し、私自身にとっても救われるものを感じました。

コロナ禍によって人と密に触れ合えないことは、感染のリスクだけではなく、心の部分
で人間存在をむしばむものであることを、改めて感じさせられました。

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