2020年6月12日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1824を読んで

2020年5月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1824では
イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』から、次のことばが
取り上げられています。

   今からもう、よく考えておくべきだ。いった
   い何に元どおりになってほしくないかを。

今回のコロナ禍の襲来を振り返ってみると、まず中国での発生が伝えられ、病院
に収容される夥しい数の人々のテレビ画像、町の封鎖風景や、現地での感染の
疑いのある人々に対する、一般の人々の強い警戒感などに映像で触れて、まだ
実感のない漠然とした不安であったものが、横浜入港の旅客船での乗客感染に
よって、一挙に現実の恐怖となったことを、昨日のことのように思い出します。

それからは、全国に感染者があっという間に拡大して、他都道府県への移動や
三密の禁止、それに伴う公共施設、飲食店などの不特定多数の人々が集まる
場所の営業規制、職場への通勤も出来るだけ少なくするなど、いわゆる各自が
自宅にとどまることが求められて、その結果感染者数の増加もようやく落ち着き、
徐々に規制の解除が広がって来て、今日に至っています。

その間、グローバル化の弊害や大都市の人口の過剰な密集、医療体制の脆弱
さ、高齢化問題、貧富の格差の拡大など、私たちの現代社会が抱える様々な
問題が明らかになって来ました。

またその副産物として、SNSでの風評被害の拡散や自粛警察など、人権を抑圧
するような過剰な監視社会の様相も、広がって来ています。

コロナ感染症の収束後には、一時も早い経済的不利益を被った人々、商店、企業
の救済、回復が求められるのは言うまでもありませんが、それは全てが元通りに
なることではなく、コロナ前の旧弊を正しながら、より良い社会を目指すものに
ならなければならないでしょう。

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