2016年5月13日金曜日

鷲田清一「折々のことば」397を読んで

2016年5月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」397に
ある飲み屋の常連客の女性がもらした、次のことばが取り上げられています。

 きょうは私の日じゃない

一つの空間に人と人が居合わせたり、あるいはそこで互いのコミニケーションを
図る時、心地よい関係を保つためには、場の空気というものが大変重要で
あると、経験上も感じます。

例えば店でお客様のお相手をしている時、一対一なら個人的なコミニケーションの
良否の問題ともいえますが、一つのグループで複数のお客様がおられる場合、
あるいは互いには面識のない複数のお客様が同席しておられる場合には、
その場の雰囲気がとげとげしかったり、いらだちを含むものにならないように
腐心します。

もしそのような雰囲気になったら、商談もスムーズには進みにくいし、お客様に
私たちの店に対して好ましくない印象を残す恐れがあるからです。

それほど場の空気は大切なものだと、私は思います。でも他方、お気に入りの
飲み屋の常連客が、上記のことばのような達観の持ち主であるとしたら、十分に
その女性は人生の楽しみ方の達人であると感じます。私もそうありたいものですし、
これほど気に入っている行きつけの店を持ちたいものです。

一方場の空気というと、近頃は広く共有されにくくなって来ているようにも感じます。
例えばテレビの時代劇で、登場人物間のいわゆる腹芸が見られないのも、これが
原因ではないでしょうか?役者が昔に比べればおおげさな感情表現を伴う演技を
して、私のような古い人間は、かすかな違和感を感じることがよくあります。

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