2016年5月9日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、猫の人間に対するスタンス

2016年5月9日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載23に
主人苦沙弥先生を初めとする、周囲の人々のいかにも滑稽な言動に、猫の
吾輩が感慨を吐露する、次の記述があります。

「第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなもの
だろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。
主人はいよいよ柔かに頭を撫でてくれる。人を笑って可愛がられるのは
ありがたいが、聊か無気味な所もある。」

思わず微苦笑せずにはいられない物言いです。主人の立場になれば、
頭を撫でてやっているから、この猫はさも気持ち良さげに咽喉を鳴らしている
のだろうと解釈して、可愛いやつめと感じているでしょう。

ところがどっこい猫の方では、主人と客のやり取りに呆れて、人間とはまったく
愚かなものだなあと、笑っているのですから。虚仮にされながら悦に入っている
人間の方こそ、いいつらの皮です。

人間の愚行を、彼らが自分たちより劣る存在と考えているものの立場から笑う。
しかもその笑われていることを、自分のしてやったことによって、相手が喜んで
いるのだと、呑気に誤解する。

ここまで来ると、人間も救われません。しかし当の猫の目線にも、辛辣なだけ
ではない、養ってくれるものに対する親愛の情もある。何だか複雑です。

だから我々読者も、安心して楽しめるのかも知れませんが・・・

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