2019年4月12日金曜日

4月4日付け「天声人語」を読んで

2019年4月4日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、世田谷美術館で開催されて
いる田沼武能の、”焼け跡から復興をへて五輪を迎えるまでの十数年間のこの国の
首都をとらえた写真展”「東京わが残像」を観て、当時の子供たちの生き生きとした
表情に感銘を受けたことが、綴られています。

昭和31年生まれの私も、これらの写真の子供たちと重なるところがあるので、この
文章に懐かしさを感じながら、子供の日々を思いました。

終戦直後の混乱からはある程度の月日を隔てて生まれ、私の子供時代は一見平穏
な日々でしたが、子供には分からないところで社会はまだ貧困や政治的な動揺を
抱え、それ故に今から思い返すと、当時の大人たちが試行錯誤を重ねながら精一杯
生きていた姿が瞼に浮かびます。

そのような社会の雰囲気は、子供には自覚はなくとも自ずから伝わるもので、例えば
私の小学校時代を回想すると、家庭的には当時は仕事と生活が同じ場所で営まれ
ている家族が多く存在していたので、子供たちの生活も、親の仕事に影響を受ける
割合が高く、子供一人一人に大人びたところやバイタリティーがあったと、思い出され
ます。

また社会全体に貧しい故の上昇志向や、生活をより良くしたいという意識があり、その
結果政治的関心も高く、社会的問題に対して能動的にコミットしようとする人も多く
存在したように思います。そしてそのような問題意識は、子供たちにも確実に伝わって
いたのでしょう。

何も、当時の全てを肯定しようというのではありません。貧困に由来する様々な問題
や、社会的不公正も多く存在したのは事実です。でも社会全体からあの頃の熱量が
失われてしまったことは、寂しく感じます。

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