2021年1月19日火曜日

ミヒャエル・エンデ著「モモ」を読んで

かねてより読みたいと思っていた、「モモ」をようやく読むことが出来ました。予想通り 児童向け小説の体裁を取りながら、大人の読書にも十分に耐える名作でした。 時間泥棒の不気味な男たちと戦う、みなしごの不思議な少女モモの物語を通して、「時間」 とは何かを問う物語ですが、この命題は現代社会において、益々重要になって来ていると 感じられます。 つまり、私たちの暮らす現代社会では、この小説が執筆された当時より、更に加速度的に 時間的余裕が失われて行っているからです。 これはよく考えると、大変不思議なことです。なぜなら、私たちは交通手段の発達によっ て、飛躍的に速く遠隔地に到着出来るようになりました。国内各地は言うに及ばず、地球 の裏側さえ一日以内で到着可能で、他惑星への移動も視野に入って来ています。 あるいは、情報通信技術の発展によって、地球横断的な通信が簡単に行えるようになり、 離れて生活する人間同士の意思疎通が、リアルタイムで計れるようになりました。 これらの科学技術の発達は、私たちに一定時間内に出来ることを、かつてでは考えられ ないほど、増大させてはずです。 また私たちの平均寿命も、医療技術の発達、豊かな食生活によって、かなり伸長しました。 このことは、私たち個々が一生涯に使用することの出来る時間を、目に見えて増加させる ことになったはずです。 しかし現実の自分の生活を振り返ってみると、私たちは以前に比べて更に、時間が足り なくなり、忙しくなったと、感じられます。これは一体どうしたことでしょう? この理由を考えるヒントとして、時間と言うものに、急き立てられれば更に速く経過し、 逆に心を落ち着ければ、ゆったりと流れると感じられる性質があることが、挙げられると 私は思います。 つまり、資本主義社会における科学技術の発達は、私たちに経済的豊かさや利便性の向上 をもたらしましたが、その反面、人々の心から精神的余裕を失わせ、疎外感や満ち足り ない思いを、増大させることになったのです。 「モモ」は、社会的風潮や価値観にとらわれない、精神的に自立した一人の自由な少女の 勇気ある行動を通して、私たち人間一人一人が時間というものの貴重さを自覚し、大切に 扱うことの必要性を、語りかける小説です。 それは即ち、私たちが如何に生きるべきかを説く物語でもあります。

1 件のコメント:

  1. あらためて時間とはなにかを考えさせられました。時計の刻みは一定ですが、主観的な時間は伸び縮みするのかもしれませんね。

    返信削除