2021年2月21日日曜日

村上春樹著「猫を棄てる」を読んで

多くの著作を生み出した、日本を代表する作家の一人であるにも関わらず、親族について 触れることは極端に少ない著者の、恐らく初めて父親について語った書です。 しかし本書は、単なるエッセーや回想録とは違って、村上一流の韜晦に満ちた文章で、彼が 一体どうゆう理由でこの本を書こうと思い、読者に何を伝えようと思ったかを、容易に理解 することは難しいと感じます。 それで私は、著者も表題に採っている、本書の最初に登場する猫を棄てるエピソードと、 最後に登場する行方不明になった子猫のエピソードをヒントに、この書を読み解いてみたい と思います。 最初のエピソードは、父親と海岸に棄てに行った猫が、自分たちより先に家に帰っている話 です。ここでこの猫を棄てに行った理由は語られませんが、その猫が家に帰り着いていたと いう予期せぬ出来事に、父親が安堵する様子が描かれています。 それは後に語られる寺に生まれた父親が、まだ幼い頃に他の寺に養子に出され、体を壊して 傷心の内に実家に戻った体験と、深く結びついていると思われますが、その後の父親の人生 について書かれた記述を読み進めて行っても、自らが一度家族から棄てられたことが、父の その後の人生に濃い影を落としていることが、読み取れます。 また他方この父親の人生は、日中戦争、太平洋戦争と続いたかつてのあの戦争に翻弄され、 夢を諦めざるを得ない結果をもたらしたことが分かります。この時の無念が、後に父と息子 との確執の要因となるのですが、結果として父の人生が深い挫折感に彩られたものであった ことが理解出来ます。 さてそこで、最後の子猫のエピソードです。著者が同じ子供の頃、自宅の高い松の木を勇ん で登って行ったこの子猫は、高い所で足がすくんで自力で降りられなくなりました。必死に 助けを求め鳴き声を上げても、父と息子はなすすべもなく傍観するしかありませんでした。 そして翌日、姿は見えぬままに鳴き声も止みました。 この体験から著者は、「降りることは、上がることよりむずかしい」という教訓を得、結果 は起因をあっさりと飲み込み、無力化して行くと結論付けます。この最初と最後の二匹の猫 の生死を分けたものは何か?それは運命としか言いようがない、かも知れません。 しかしその運命も、条件が人為的なものであったなら、転換することも可能です。著者村上 春樹は、多かれ少なかれあの戦争の影響を受けた、彼の父親世代の名も無き代表の一人と して父の人生を描くことによって、市井に暮らす庶民の側からの戦争のむごさを描き出そう としたのではないか?私には、そう思われました。

0 件のコメント:

コメントを投稿