2021年2月16日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2062を読んで

2021年1月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2062では 「WIRED」日本版の元編集者・若林恵のコラム集『さよなら未来』から、次のことばが取り 上げられています。    未来を考えるということは「いまとちがう時    間」ではなく「いまとちがう場所」を探すこ    となのかもしれない。 ここで若林が言いたいのは、未来を考えるとは、すでに足許(あしもと)に兆し、萌芽状態 で実現していながら、十分に気づかれていないつながりやしくみを育てること、ということ だそうです。 漠然としているようですが、私は、例えば今回のコロナ禍後の世界を考えることとも、つな がっているように感じました。 つまり、それ以前には全く予想されなかった事態であるコロナ後の世界は、それ以前の世界 と全く別次元の世界である訳ではなく、以前から社会問題として兆し始めていたもの、社会 環境としてその萌芽が垣間見えていたものが、コロナ禍をきっかけに顕在化して、私たちは それらへの明確な対応を求められるようになる、ということです。 例えば、この災厄を通して、我が国における行政の危機管理能力や、医療体制の不備が明ら かになって来ていますし、国民の側でも、パンデミックに対する一人一人の危機回避のため の心構えや、防災知識の不足が明らかになって来ています。 さらには、コロナ不況による経済格差や非正規雇用の問題、今年の東京オリンピック開催の 是非を巡っては、オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長の失言、辞任に よって、女性差別問題の根深さが明らかになっています。 コロナ禍後には、これらの問題の改善、解決に、如何に迅速に取り組むかが、重要な課題に なることは間違いありません。

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