2021年9月10日金曜日
「鷲田清一折々のことば」2126を読んで
2021年8月26日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2126では
イタリアの作家パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』から、次のことばが取り
上げられています。
最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち
方とは限らない
人はついつい欲深いものだから、何でも一番良い結果や状態になることを、望むもしくは
夢想しがちですが、なかなか現実は、そのようには運ばないものです。
それよりは、着実にコツコツと結果を積み上げて行くとか、次善や次々善のところで妥協
しておくことが、賢明なようです。
一段よくなれば、しばらくしてまたそこから、もう一段上を目指すことも出来る。それが
現実的な目標の立て方のように思います。
でも未熟な私が、ようやくこのように考えられるようになったのは、つい最近のことで、
ちょっと前までは、自分の実力を顧みないで、一気により高いところを目指していたよう
に感じます。
その結果、失望することも多かったですし、自信を無くすことも多々ありました。でも、
年齢を重ねて、大切な人の死に接したり、自分自身の死をも意識する体験をした後、まず
生きていること自体が有難く感じられるようになって、残された命の中では、少しづつ
日々前進して行くことを心がけたいと、思うようになりました。
その想いの裏には、いささかの諦観や自分への甘さも含まれているかも知れませんが、
残りの人生、まあ出来る範囲で前を向いて進んで行きたい、と考えています。
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