2021年9月3日金曜日

「阿川尚之 現代のことば おかしみの悲しさ」を読んで

2021年8月18日付け京都新聞朝刊、「阿川尚之 現代のことば」では、同志社大嘱託講師・米国 憲法史の筆者が、「おかしみの悲しさ」と題して、アメリカのレーガン大統領や大リーグヤン キースの往年の名捕手・監督ヨギ・ベラの例を引いて、アメリカ人のユーモアについて語って います。 その言葉によると、アメリカ人は今でもユーモアを大切にし、指導者の評価基準にさえなる そうです。また、ある大学教授が授業の時に示した例として、「ユーモアの定義は、調和しな い要素の並置」が挙げられていて、作家マーク・トウェインが言った「人間のすることはすべ て哀れだ。だからユーモアの本当の源泉は喜びではなく悲しみである」という言葉と合わせて、 ユーモアは自らの人生を笑う力から生まれると結論付けています。 現在の私たちの日本では、漫才を中心としたお笑いブームということもあって、洒落や軽口、 アクションといった表面的な笑いが広く支持されているように感じます。またそういうこと から面白い人という時、このようなセンスが重視されているように思います。 ですが、ユーモアといった感覚は、どちらかと言えば日本では、落語のおかしみに近いのかと、 私は感じます。突発的な笑いを誘うものではなくて、じんわりとにじみ出て来るような。 私自身個人的には、洒落や軽口に近いおっさんギャグを発することもありますが、本当はユー モアのセンスを持ち合わせた人間でありたいと、思っています。そのためには、人生の酸いも 甘いも知りぬいた人にならなければならないのかも知れません。いやまだまだ、修業が足りま せん。

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