2021年6月4日金曜日
「青地伯水 現代のことば オリンピアとレニ」を読んで
2021年6月4日付け京都新聞夕刊「青地伯水 現代のことば」では、「オリンピアとレニ」と
題して、京都府立大学教授・欧米言語文化ドイツの筆者が、1936年のベルリンオリンピック
の記録映画「オリンピア」を制作した、レニ・リーフェンシュタール監督の同映画撮影の
経緯、技法と、その信念を通して、ドイツ敗戦後毀誉褒貶の中に生きた、良きも悪しきも
不世出の映画人であった、彼女の生涯をあぶり出しています。
私はかねてから彼女に興味があり、また今年がコロナ禍の下に1年延期され、まだ開催の
是非に賛否両論が渦巻く、東京オリンピックの年であることから、この文章を読んで、多く
の感慨を覚えました。
まず第1の点は、オリンピックとはいかなるものか、ということです。周知のように、レニ
がメガホンを取ったベルリンの大会は、ヒトラーによるドイツの国威発揚のために挙行
されました。それ故レニは後年ナチス協力の責任を問われる訳ですが、ー彼女が感動的に
撮影した聖火リレーが、その後のオリンピックに定着し、今回の東京大会でも、コロナ禍の
ために、様々な制約の中で行われれていることも、随分皮肉なことですーオリンピックが
平和の祭典を謳いながら、極めて政治的な行事であることを、端的に示しているでしょう。
大会の商業主義化や肥大化も含め、コロナ禍はオリンピックが誰のためにあり、如何にある
べきかを、問い直しているのでしょう。
第2の点は、記録映画とは、更に大きな範疇として、芸術とは如何なるものであるべきか、
という問いです。レニは美しく、迫真的で、人々の心を動かす映画を制作するために、フェ
イクややらせを厭いませんでした。しかし、逆に何を表現すべきかという一貫した強固な
イメージがあり、それを現出するために一切の妥協を許さなかったことが、この映画を
洗練され、完成度の非常に高いものにした、と思われます。
記録映画の真実と虚構部分のあるべき姿、美しく人の心を感動させることと、悪しき思想に
人々を誘惑する契機となることの、矛盾と葛藤、ジレンマについても、考えさせられました。
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