2021年6月25日金曜日

ポール・オースター「ガラスの街」を読んで

オースターという作家について、何の予備知識もなく、この小説を読み始めた私にとって、 初めと最後で物語の印象ががらりと変わった、稀有な小説でした。 最初は文字通り、アメリカの小説らしい洒脱で良質な探偵小説として、わくわくしながら 読み始めました。愛する妻と子に先立たれ、厭世的な気分でひっそりとニューヨークに 暮らす作家クインの元に、正に著者自身と名前を同じくする、探偵ポール・オースターを 名指した間違い電話がかかります。好奇心に負けてこの探偵に成り済ましたクインは、 依頼者の所へ赴き、幼少期に狂信的な父親によって、長い年月監禁されたために、今なお 心身に痛ましい傷を抱える青年を、近日精神病院を退院して、この哀れな息子に危害を 加えるために帰って来る、当の父親から護ってほしいという依頼を、青年の妻から受け ます。以降ニューヨークの街中で、青年の父親と思しい老人に対する、クインの執拗な 尾行が始まります。 ここまでは、探偵小説の定石通り。誇大妄想的な難解な思想に囚われた老人の、街中を 歩き回る不可解な行動を執念で追うクイン。彼は、老人のこれからの計画を予想しようと 推理をめぐらせ、読者は息をつめて彼を見守ります。しかしクインが老人を見失い、途方 に暮れて小説中のポール・オースターを訪ねる頃から、筋が怪しくなります。そして、 詳述は避けますが、クインは自らの使命に囚われるあまり、自分を喪失して、身を持ち 崩して行きます。 この小説で、作者は何を語りたかったのでしょうか?主人公クインと作家自身のオース ター、そしてオースターの友人らしい物語の語り手、三者が交錯して、ストーリーは複雑 を究めます。 それ故、私なりに作者の言わんとすることを推考して、クインは作者の心の中の探偵心( 好奇心とミッション遂行のための義務感、良心)ではないかと、思い至りました。これに 囚われる余りにクインは身を持ち崩し、他方、これの欠如した作中のオースターは、下ら ない作品を書いて、のうのうと生きています。恐らく、著者自身の執筆活動における内面 の葛藤を、図式化するために本書は著され、より高処に立つ語り手も、必要だったので しょう。 またこの作品にとって、ニューヨークの街そのものも、第二の主役であると思います。 クインの尾行を通して、この都市の息遣いが生き生きと描き出され、私はその描写から ソールライターの写真を想起しました。 更に著者は、日頃蚊帳の外に置かれている、この街に暮らす底辺の人々への視線を、失い ません。その姿勢が、この物語に厚みを与えていると、感じました。

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