2021年12月22日水曜日

若松英輔著「霧の彼方 須賀敦子」を読んで

私が一時期はまっていた須賀敦子の一連の作品は、私にとって追想の文学、未知なるイタリア の風土、風物を感じさてくれる書物としてありました。しかし本書を読むと、それらの作品の 背景をなす彼女の精神世界が、私のくみ取ったものよりずっと深いことに、気づかされました。 それが、本書を読んだ第一印象の感想です。 私は幼稚園でカトリック、中学以降プロテスタントの教育機関で学び、それぞれの薫陶を受け ましたが、あくまで仏教徒であり、それらのキリスト教系の宗教を、内面の問題として感じた ことはありません。 また、学校の歴史の教科で、カトリックからプロテスタントの派生の経緯を学び、更には美術 鑑賞が趣味なので、カトリックの宗教美術には慣れ親しんでいます。しかし本場ヨーロッパで、 真摯に土着宗教としてのカトリックに向き合う人の心情は、私には到底思い及ぶことが出来ない と感じます。そういう意味で本書が取り上げた主題は、私には荷が重く感じられます。 それゆえ私が本書から、須賀敦子の一連の著作が生み出された背景をなす、宗教的体験や人生 の意味、並びにそれらの作品の文学的意義を、納得出来るところまで理解しようとしても、難 しいと感じます。しかし本書に描かれる人生の節目での、彼女の信念に基づく思考、行動には、 心を動かされるところがありました。 その根幹をなすものとして、須賀は「キリスト教的な英雄的精神」を愛し、自らの人生において も実践したということが、挙げられると感じます。つまり、キリスト教における英雄は、世間 一般に言われるような、武勇による顕著な功績を残す者ではなく、単独者として「神の前にただ ひとり立つ人間」であるということです。 この信念に基づき、彼女は第二次世界大戦後のカトリックの革新運動を担う「コルシア書店」に 身を投じ、長く虐げられた人々であるユダヤ系の人と文学に共感し、帰国後は廃品回収を通じて 貧しい人々の自立を促す「エマウス運動」に傾倒したのです。そしてそれらの行動の帰結に、 一連の著作があるのです。 こうして見て行くと、須賀の作品が、追想と共に彼女の培って来た、大切な想いのあふれ出た 結晶に見えて来ます。しかし同時に、このような宗教的背景を頭に入れなくても、彼女の残した 作品たちは、今なお慈愛に満ちた穏やかな光を放ち続けるとも、感じました。

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