2021年11月16日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2172を読んで

2021年10月13日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2172では 歌人山崎方代の随想集『青じその花』から、次のことばが取り上げられています。    こんな所に釘が一本打たれていていじればホト    リと落ちてしもうた このことばだけ見て、意味を読み取るのは難しいところ。でも、何かホッとするような響き があって、惹かれました。 ことばに続く鷲田の解説によると、この歌人の言うに、自分には意味を掘り下げるより「精神 のコンディション」を整えることが先決で、そのためには「不仕合わせを、少しずつ生活の 意識の中に混ぜておく」ことが大切だそうです。 そう言われて、上記のことばの私をほっこりとさせる理由も、分かる気がしまいた。つまり、 このことばは、ある種人生を達観した人のことばではないでしょうか。 人生では、うまくいかないことが当たり前。それにも関わらず私たちは、何でも上手くいく ことを前提にしてものを考え、計画を立て、その結果失望を繰り返し、予定の変更を余儀なく されて、うろたえるのではないでしょうか? やはり、上手くいかなくて当然と考え、それを想定して計画を立てたり、心の準備をし、たま たま上手くいったら有難いと思う。本当はそれくらいのゆとりを持つことが必要なのだと思い ます。 でも現実社会は、そんな余裕を持った態度をそう簡単に許さない。少し気を緩めると、あっと いう間に底に突き落とされるような感覚があり、それゆえ私たちは、あくせくとして神経を すり減らしているのでしょう。 だから精神的余裕を持って人生を生き抜くには、達観や開き直りが必要。そういう心持に少し でも近づけるように、精進したいとは思っています。

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