2021年11月12日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2162を読んで

2021年10月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2162では 英国の作家G・K・チェスタトンの『正統とは何か』から、次のことばが取り上げられています。   人間は、理解しえないものの力を借りること   で、はじめてあらゆるものを理解することが   できるのだ。 今日ほど、人間が自分たちに全能感を持っていたことは、かつてなかったでしょう。なぜなら、 科学技術の目覚ましい発達によって、私たちは宇宙や自然や、生命の摂理のほとんどのことを 知っていると、考えていると思われるからです。 しかし、実際は我々の知っていることは、それらのほんの入り口に過ぎず、大部分のことは、 今なお人智を超えたところにあるに違いありません。それが証拠に、私たちは以前、地球上の ちっぽけな生命体に過ぎず、我々が考え、行動し、成し遂げたことは、宇宙のはるかかなた から眺めれば、地球の表面で、騒がしくうごめいていることに過ぎない、と思うからです。 勿論、人間がゼロから作り上げたことは、功罪両面があるとは言え、ある意味尊く、偉大では あるでしょう。でもそれらの成果を得られたのは、我々が地球という恵まれた環境の上に生活 拠点を持っているからで、その環境に守られてこそ、存分に力を発揮出来ているからに、違い ありません。 同様に、自らのなまじの力におごり高ぶり、何もかも理解しているような錯覚にとらわれて いると、そこには大きな落とし穴が待ち構えているでしょう。 自然に生かされているという感謝の気持ち、そして理解しえないものの上に自らの理解が成り 立っているという謙虚な気持ちこそ必要であると、上記のことばに触れて感じました。

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