2021年8月24日火曜日

池波正太郎著「散歩のとき何か食べたくなって」を読んで

「鬼平犯科帳」「剣客商売」等で知られた、時代小説の人気作家として有名な著者による、 ひいきにした各地の食の名店を巡るエッセーです。 さすがの流麗な文章で、料理やそれに携わる人々への愛情に溢れ、読んでいて思わず、こちら も心地よくなる癒しの書です。 また折しもコロナ禍で、外食が制限される中にあって、料理店で食事をすることの楽しさ、 掛け替えのなさを、教えてくれる書でもあります。更には、単に名物料理、名店の紹介に留ま らず、著者自身の生い立ちや経歴も含めて、食を巡る優れた文化論になっています。 その観点で私の最も印象に残ったのは、著者が東京の下町出身の生粋の東京人ということも あって、在りし日の東京の食と風俗を描いた部分で、若かった頃に銀座の「資生堂パーラー」 で初めて洋食を食べたことから語り起して、当時の銀座のハイカラな佇まいと、背伸びして それに触れる著者の喜び、先端の料理を提供する料理人、スタッフの矜持を描き出すことに よって、活気に満ちた往時を再現する、あるいは、子供の頃から親に連れて行ってもらった、 蕎麦屋通いの習慣がすっかり身に付き、都内各所にある「藪蕎麦」で一杯ひっかけることが 恒例になっていると記して、東京人と蕎麦が切っても切れないものであることを、描いてい ます。 また、親戚の住んでいることから良く訪れた深川が、海に近く「江戸前」の魚介の供給地で あったこと、更にこの地の名店、泥鰌鍋の「伊喜」と馬肉鍋の「みの家」を巡るエピソードを 記して、当時のその界隈の様子を浮かび上がらせます。 東京以外の店の紹介では、やはり私の暮らす京都が気になりました。池波は、仕事柄度々京都 を訪れています。彼が足を向けたバー「サンボア」は、私も行ったことがあり、その頃は無論 主人は代替わりしていましたが、それでも歴史に裏打ちされた独特の雰囲気がありました。彼 の好みの一端を知る思いがしました。 その他にも「三嶋亭」「村上開新堂菓舗」は、今でも横目で眺めながら通り過ぎています。 往時と地続きのものを感じます。 本書が刊行されてから40年以上が経ち、著者も存命ではありませんが、本書に記されたような、 食を巡って店と客の間で醸成された濃密な文化が、途切れず残って行くことを、切に願って 止みません。

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