2018年3月28日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1056を読んで

2018年3月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1056では
スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』から、次のことばが取り上げ
られています。

 賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを胆に銘じている。

賢明さを持って人生を歩んで行くためには、必要不可欠な心掛けであると、感じます。

人はついつい自分を過信し、思い込みを起こしやすいと、経験上も感じます。

例えば仕事の上で、出来るだけ失敗をしないように慎重を期しているつもりでも、些細
な間違いが生じる時は大抵、うっかりミスを除いて、予めの想定が思い込みによって
本来とは違っていたり、楽観的に結果を予想して思惑が外れてしまう時だと、思い当た
ります。

これらの失敗は、経験から知らず知らずのうちに生じた慢心が、正しい判断を鈍らせた
結果だと、感じます。

あるいは、人生の中の時々の些末な選択を伴う分岐点で、どちらを選ぶべきかと逡巡
する時、往々にまず最初に思い浮かぶのは、これまでの経験から即座に導き出される
方向で、しかし少し時を置いて冷静に考えると、必ずしも前回の経験がそのままで今回
のケースに当てはまるとは限らず、もっと相対的な基準で判断することが必要であると、
思い至ることが多々あります。

更には自分が正しいと信じてする発言でも、その言葉の根拠や、前提とする知識が
間違っていないかどうか、常に検証することが大切であると実感させられることが、よく
あります。

このように人は間違うもの、その自覚を常に持っていることを、私は心掛けています。

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