2022年11月25日金曜日
「鷲田清一折々のことば」2515を読んで
2022年10月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2515では
哲学者・鶴見俊輔の初期の論考「言葉のお守り的使用法について」(「思想の科学」創刊号)
から、次のことばが取り上げられています。
言葉のお守り的使用の盛況は、合理的思索の
衰勢を意味する
鶴見は「自身の社会的立場を守るために、権勢をふるう人たちの価値観を表す言葉を自分の
上にかぶせるような言葉遣いを、「お守り的使用」」と呼んだそうです。例えば戦後なら
「民主」や「自由」など。
自分で考え、実践することを提唱した、いかにもこの哲学者らしい物言いだと思います。
何も難しく考えなくても、自分に引き付けてみれば、これはうなずけることだと思います。
例えば私なども、社会的なことを話題にする時、深く考えず「民主」や「自由」を錦の御旗
にして、いかにもそれが正当なことのように、語っていたことがあると思います。
これは、この「民主」や「自由」の概念が、私たちが実際に革命などを通して獲得したもの
でなくて、敗戦後米国によって与えられたものであることも、大きく関係しているのではない
かと、推察されます。だから私たちは、これらの言葉を載せれば支配的価値観から逸脱する
こともなく、また、高尚な物言いが出来ていると感じるのではないでしょうか?
でも鶴見の言うように、無自覚にこれらのキーワードを使っているうちは、真の自分固有の
思考にはならないでしょう。「民主」や「自由」とはそもそも何かということから、掘り下げ
て行かなければならないのだと、思います。
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