2018年1月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1006では
1月10日朝刊のインタビュー「花で語る」から、華道池坊次期家元池坊専好の次の
ことばが取り上げられています。
少なさは寂しいことでも貧相なことでもありません。
私は華道の全くの門外漢ですが、床の間などに生けてある花を見るのは好きです。
特に状況や場面にもよりますが、一輪の花が素朴な花瓶に生けてあるのを見ると
心が和みます。例えばその家の庭で今年初めて咲いた椿が一輪、無造作に投げ
入れてあるというような・・・。
さりげなさの中に心がこもっていて、その花を生けた方の、季節の便りを感じ取る
喜びを見る人と一緒に分かち合おうという思いが、伝わって来るように感じるの
です。
だから上記のことばには、素人なりに我が意を得た心持ちがしました。
最近は装飾用の花にしても、プレゼント用の花束にしても、私たちの生活空間が
洋風になっていることもあって、洋花で華麗に飾り立てたものが一般的になって
います。
それはそれで場に相応しく、私たちの心を晴れやかにしてくれるのですが、時と
して在来種を用いた飾り気のない生け花の醸す精神性や潔さが恋しくなるのは、
私がやはり、日本人だからでしょうか?
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