2018年1月31日水曜日

谷崎潤一郎著「細雪(下)」新潮文庫版を読んで

いよいよクライマックス、三女雪子と四女妙子という、まったく性格の異なる二人の娘の
結婚の顛末が記されます。

その前に鈍感な私もここに来て気になり始めた、この小説における著者谷崎の立ち位置
の問題について。つまり無論この小説の語りは、登場人物の一人に託した一人称でも
なければ、客観性に徹した三人称でもありません。著者は小説の中のそれぞれの部分
で、主格となる登場人物に寄り添う形で物語を紡ぎ出して行きます。

これが日本の伝統的な話法であるかは、浅学にして私は承知しませんが、この語りが
読みやすいスムーズな流れを生み出し、作品のゆったりとしてたおやかな気分を保証
しています。

また登場人物が織りあげる物語だけではなく、この小説のもう一つの主題と言っても
いい、京都への毎年の花見行に象徴される、姉妹の衣裳、振舞い、行動に仮託された
日本の伝統的な情緒、美意識の表出も、この話法を用いることによりひときわ光彩を
放つように感じられました。

さて雪子、妙子の結婚に至るまでの挙動をハラハラしながら追って来て、一番カタルシス
を感じたのは、雪子が妙子に啓坊に対する仕打ちをなじる場面です。

妙子が付き合う男を次々替えながら、自分に未練のある彼に思わせぶりな態度を取って
金品をせびる、自己中心で小悪魔的な人間であることが次第に明らかになり、しかも
雪子の縁談がようやくまとまりかけて、妙子の行状がその支障になる恐れが出て来た時
に、雪子は自分に対する妙子の仕打ちなど意に介さず、啓坊に対する不実にこそ怒った
のです。

そこには、しっかり者の姉が迷惑ばかりかける出来の悪い妹を愛情をもって諭す姿が
描かれていて、胸がすく思いがしました。

雪子はようやく自分の眼鏡に適う人と結ばれ、他方妙子は恋人、子供を死によって失う
という悲劇に次々と見舞われますが、因果応報とでもいうか、常々人の行いが往々に
人生の吉凶を左右するという古い価値観を信じる私にとって、腑に落ちる結末でした。

もっとも気に入った相手にもすぐには返事をせず、しぶしぶ承諾した体を装う雪子の態度
には、女心は一筋縄ではいかぬものだという、感想を持ったのですが・・・。

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